人々が何故反戦を訴えるのかというと、(とりあえず日本に限っていうと)それは先の大戦で自国が、自国の国民が悲惨な被害を受けたからに他ならない。
仮に空襲がなく、沖縄戦も無かったならば、被害を受けたのが戦闘員に限られたならば、これほど反戦が、ほとんど国是となることは、無かったであろう。
先の大戦で日本以外のアジアの国々がいかに多大な被害を受けようと、それをもたらしたのが自分の国であったとしても、これほど戦争を否定する国民性にはなっていなかったであろう、自国の被害があれほど悲惨ではなかったならば。
初めに日本に限る、と言ったが、おそらくこれは全世界的な傾向だろう。実際にそれを確かめる方法がある。
第二次世界大戦の主要参加国のなかで、自国の領土が戦場になっていない国が一つある。
勿論、アメリカ合衆国である。
我々がマスコミを通じて知ることができる情報では、アメリカ国民も日本と同じく絶対的に戦争反対の意識を持っているように思われる。
はっきりした根拠があるわけではないが、私はこれはいわいる知識人といわれる人たちに顕著な傾向なのではないかと推察している。
アメリカ国民全体の意識を調べたら、日本人から見ると驚くような意識の違いがわかるのではないかと思う。つまり、場合によっては実力行使も辞さないと思っている人たちは結構多いのではないかと思うのだ。
これは今のロシアのウクライナ侵攻に対するロシアとウクライナの国民の意識の違いにもあてはまる。
被害を受けているウクライナ国民の大多数がこの戦争に絶対反対なのは当然だろう。
対してマスコミの報道を見る限り、ロシアの国民の間では意見が分かれているように見える。
ロシア国民の少なくとも一部が戦争を支持している理由。それは自国の領土、非戦闘員が被害にあっていないからだ。
もしも、ウクライナが反攻に成功して、ロシア国内に多くの被害が生れたら、ロシア国内でも反戦の機運が高まるだろう。
こういうことを言っていると、一部の人たちは私が戦争に賛成していると思ってしまうかもしれない。
勿論そんなことはない。私だって戦争を忌避する気持ちは多分、あなたと同じだ。
高名な作家が、この時期に、自分は理想主義者なのだ、ということを表明したらしい。
スマートフォンの調子が悪いのか、発言に詳しく接することができなかったので作家の名前は伏せるが、言っているだろうことは大体推測できる。
おそらく、それでも自分は戦争のない世界がくることを信じるみたいなことだろう。
仮にそうでなかったとしても、そういうことを言う人たちは沢山いるだろう。そうして、世間からは立派な発言だと言われるのだろう。
しかしそれを理想主義と言ってはいけない。
本当の理想主義者は、現実をしっかりと見た上で、それでも高い理念を掲げ続ける存在でなければならない。
現在起きていることに則して言うと、ロシアの言い分、論理も把握して、そこに大義も含まれていることを理解した上で、なおかつそれを克服した平和があるはずだ、と追求し続けることができる者が真の理想主義者と言えるのだ。
単純にロシアを悪者にして済ませる者は、ただの思想的怠けものに過ぎない。
ところで、その思想的怠けものたちは、自分の仕事では立派な業績を残していたりする。知性においても、人格においても申し分のない人たちも沢山いる。
何故その人達さえも、そういう愚かな間違いをおかしてしまうのか。
一つには、我々は一度その人格や根本思想が決まってしまうと、それを崩すのは容易ではない、ということがある。
いわいる団塊の世代に特徴的に見られることだが、彼らは一様に底の浅いリベラリストである。
彼らには幼少、少年期に、その思想が固まる環境があったのだろう。
また、その考えが我々一般人にまで伝わる人たちは、当然のことながら成功者だ。
成功者には自らを省みる必要がない。なぜなら既に成功しているから。そうして、その成功の源の一つは自分の思想傾向にあるだろうと無意識にでも思っているから。また、周りの人たちもそれを支持してくれることだろう。
従って、それがたとえしょうもない思想であっても、それを持ち続けることになる。
では、偉そうにいっているかお前はどうなのだ、という疑問も出るだろう。お前だって、そういう誤謬からは逃れられないだろう、と。
自分のことを判断するのは難しいが、私はその誤謬には囚われていないだろうと思っている。
では何故日本を代表する知識人たちに出来ないことが私に出来るのか。それは私が人生において失敗し続けているからだろう。
失敗している人間は自分を信じられない。自分の考えも信用できない。そのため、常にそれまでの自分の考えを凌駕する思想を探し続けることになる。その結果、新しい考えにたどり着けることもあるのだ。
もし、そうであるらば、考えるが凝り固まるのを防ぐには失敗し続けるしかないのかも知れない。
もし、そうであるならば、人間というものは、実に底の浅い存在である、と言わざるを得ない。