※初めにお断りしておかなくてはなりませんが、私は音楽に関して完全に素人です。詳しいことは何もわからない。また1990年代以降の音楽のことはほとんど知らない。ですから頓珍漢なことを沢山言うかもしれません。文中で一々それを注釈はしないつもりなのでもしも変な事を言っていたら“コイツ、何もわかってないな”とでも思って下さい※
「ペット・サウンズ」は、一人の、繊細な心をずたずたに傷つけられた少年が謳う叫びだ。
山下達郎はこのアルバムを、悲しいほど美しい、と表現した。美しいのはブライアン・ウィルソンという人の心が美しいからだろう。悲しいのは彼が表現しているのが絶望であるからだ。
自らの心を表現し尽くしたという点でペット・サウンズと比較できるのはジョン・レノンの「ジョンの魂」しかない。
しかしジョン・レノンがそれを表現するのに、叫び、という方法を使い、その結果として自らを縛ってしたものから自由になったのに対し、ブライアン・ウィルソンは完璧に美しい音楽を作るという方法をとった。
完璧かどうかはわからないが美しい音楽は完成した。しかし僕にはブライアン・ウィルソンはその音楽の中に閉じ込められてしまったように感じられる。
もしも僕が全く何の情報もなしに「ペット・サウンズ」を聴いたとしたら、このアルバムはおそらく10代の純粋で美しい心を持った天才少年が孤独の内に作り上げた、たった一つの作品だと思っただろう。そして彼はその後自らの繊細さと現実の粗暴さの解離に耐えられずに破滅してしまったのではないかと思っただろう。
《実際には当時ブライアン・ウィルソンは23歳で素人どころか既に第一級のミュージシャンだった。しかしアルバム発表後何年かしてから精神を病んでしまい長年音楽活動から離れることになるーその後復帰》
多くの人が言うように僕も中々「ペット・サウンズ」の価値に気付かなかった。
何なんだ、この気持ちの悪い下手なヴォーカルは。下手な演奏は。大体ヴォーカルも演奏も音を鳴らすべきポイントから微妙にずれているじゃないか。編曲も素人臭いし変な音のする楽器じゃない物を沢山つかっていてそれがことごとく外している。
これが初めてアルバムを聴いた時の感想でこの感想は今もあまり変わっていない。
それならば一回で聴くのをやめたのかというとそうではなかった。それはアルバムはそこそこ高価な買い物であり、無駄にするのは惜しいということと、世評が異常に高いので理解するまでには何回かは聴き込まなくてはならないのではないのか、と思ったからだ。
もう一つの感想として全部が同じ曲に聴こえるというのもあった。これは当然と言えば当然である。何故なら曲の主題が同じだからだ。
ブライアン・ウィルソンはアルバム全編にわたって救済を訴えているのだ。それも全身全霊からの救済を。主題が同じであるなら曲が似るのも当然だろう。
聴き込めばわかる。このアルバムがどれほど美しいかということが。
一人の、時代を代表する才能が、人間として持つエネルギーのほとんどをつぎ込んだ作品であるということが。