時事その他についての考察

ジョン・ル・カレ著「われらが背きし者」

今222ページ。主要登場人物である、ペリーとヘクターの会話の途中。少しドキドキしている。恐ろしい小説。会話文、その間の細かい描写の一つ一つにすべて隠れた意味がある。もっとも僕はその半分も理解していないが。

一文一文を考えながら読まなくてはいけないのでえらく時間がかかる。ル・カレの小説はこれを含めて数多く映画化されているがこんなもんどうやって映画にするのだろう。

中盤から終盤にかけて。366ページ。どうやらやはり、今作においてル・カレは会話を中心に物語を組立てるらしい。場面が変わってもそのやり方は一貫している。私はそれほどル・カレの小説に詳しいわけではないが、多分、そういう手法の決定版のつもりなのではないか。それともいつもの事なのだろうか。

読書の興味を削ぎかねないのでどういう話なのかにはまだ触れないが、意外にも、リアリストに思えたル・カレが理想主義的なロマンチストみたいな事を書いているのに驚く。これは年齢によるものか、それともそういう部分を強調したものを書きたくなっただけなのか。

途中、微細な環境の変動をグループのリーダーが軽視する場面がある。実はこれは見逃してはいけない兆候であったのだが、部下が気付いてうまく対応し、危機を脱することになる。

この本に限ったことではないが、ル・カレの描写を信ずるならば、世界最高とも思われるプロフェッショナルというのも我々が考えるような最高レベルでは必ずしもないということになる。

432ページ、洞察に満ちた表現。「ある思想を吹き込まれた者たちが自分自身を捨て、常識を捨てて、その仮想世界に身を委ねるとき、いかにボディランゲージが変化するか」 何かに狂信的になった時に、人は顔付きだけでなく身振りまで変わるということか。

《ここからはいくらかストーリーに触れる》

物語終盤になって、それまでの緊張感のある会話中心の話から行動に焦点がかわっていく。終盤まで緊張感のある描写が続いていた効果も大きく、別段、誰かが走ったり叫んだり、ましてや銃撃戦があるわけではないが、我々はいわいる“手に汗を握る”状態になる。

そうして、ラスト・シーン。

これには全く触れない方が良さそうだ。ただ、いかにもル・カレ的だ、とだけ言っておこう。

この本に限らず、ル・カレの小説を人に薦めるかどうかは相手を見て考えると言わざるを得ない。

私にしても、三、四冊読んでからようやくその面白さに気付いたくらいだから。(何故それでも三、四冊読んだのかというと、初めて読んだ有名な「寒く国から帰ってきたスパイ」が問題なく面白かったからというのと、世間的に作家の評価が極めて高かったから)

もしも、何かのきっかけでル・カレをどう読むか、という話になったとしたら、とにかく、飛ばし読みはしないで、すぐには理解できない描写があったら意味を考えながら読み進めるべき、だと言うだろう。

しかし、どうしても疑問点に思ってしまうのだが、ル・カレの読者たちは本当に理解して読んでいるのだろうか。だって、理解してるとしたら、こんなこともあんなことも、さらには私にはわからなかったその先も知っていることになる。そんなに、利口な人たちが沢山いるのか。だとしたら、世界って結構凄い。

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