テレビのワイドショーに出演しているコメンテーターと言われる人たちは皆ろくでもないのだけれど、おそらくあの人たちは日々勉強し続けている。最新のニュースを知らなければならないし、もしかしたら専門外の事柄も積極的に学び続けているかもしれない。
しかし、その知識を元にした発言はどうしようもない位どうしようもない。
おそらく、その発言には二つの種類がある。
一つはそもそもの考えがどうしようもないので、発言もどうしようもない場合、もう一つはテレビ局の意向に合わせて自分で自覚しながらどうしようもない事を言う場合だ。
テレビ局の要求を聴いて発言する人のことはここでは取り上げない。それも罪深いことかもしれないが、それは別種の罪深さだ。
さて、確信を持ってろくでもない事を言い続けている人たち。あの人たちもその確信を支える根本思想を築くまでには幼少期からの様々な思想遍歴があったことだろう。
そうして、ある時期に到達した根本原理みたいなものにのっとって、あれ程自信満々にろくでもないことを言っているのだ。
彼らが、自分では自らを誠実であると思っているとしたら、一体何が間違っているのだろうか。
それは思想の歩みを止めてしまったことだ。
ヒトという生き物は自分を支える根拠となる考え方、思想を確立すべく悩むように作られた存在である。
そうして、少しでも早くその根本原理に到達したいと思っている。
だから、それを掴んだ、と思ったらそれに固執したくなる。
しかし、根本原理に思えたことが正しいとは限らない。
それどころか、大抵の場合、それは一面の真理しか含まない、欠陥の多い思想である。
そこに陥ってしまうことを避ける方法は何か。
それは自分が根本原理だと思ったことでも常に疑い続け、新たな真理を探し続けること以外にない。