《この小文の結論は、人権を守るためには我々は常に、誰に対してでも戦い続けなくてはならないということです》
《以下、『』の中で長々と書きますが、これは気温が一桁の中で野球の試合などはしてはいけない、ということを言っています。ですから興味のない方、反対意見のない方は飛ばして下さい》
『極寒の中での日本シリーズ。それが適切であったなどとは誰も思わなかっただろう。しかしそれは行われた。
まさか選手や監督などの関係者や、ましてやチケット購入予定者にアンケートをとった結果そうなったわけではあるまい。経営者など、資本な判断でこうなってしまった。
そもそもの原因はオリンピック開催で中断期間があったことによる。それで日本シリーズの開催が一月ほど遅れてしまった。
また、おそらくテレビの放映料のためだと推察するが、全て試合は夜に行われたことが問題をさらに大きくした。
経営側も努力はした。日本シリーズに進出した、ヤクルト・スワローズ、オリックス・バァファローズは共に屋外の球場をホームにしているため、第五戦まではそれぞれの近場のドーム球場で試合は行われた。
しかし、第六戦、そして、ヤクルトの優勝が決まったために行われなかった第七戦が極寒の夜間に屋外球場で行われ、また、行われる予定だったのだ。(一、二戦で使った大阪ドームはコンサートに使う先客があったらしい)
勿論、理由もあるし、前述したようにこれを避ける努力がされなかったわけではない。しかし、だからいい、または仕方がないというものではない。駄目なものは駄目なのだ。
大阪ドームが使えないのならば名古屋でも福岡でもいい。そのまま東京ドームでやったっていい。
また、とにかく、日一日ごとに寒さ深まるのだから特例ということで今年だけはクライマックスシリーズをはしょっちゃっても良かっただろう。
それでは経営上困るのだろう。しかし何故ペナントレースとクライマックスの間、クライマックスから日本シリーズまで例年通り間を置いたのだろう。少なくとも今年に限っては全部続けてやるべきだったのではなかろうか。
大切なことは、動かしてはいけなかったのことは、極寒が予想される野球の試合などは組んではいけないということだった。それでも強行したのであれば、(品のないことを言うが)おそらく貴賓席などで観戦したであろう上層部の面々なども一般の観客と同じように屋外で五時間、寒さに震えながら観戦すべきだった。
選手会は抗議をするのだろうか。おそらくしないのだろう。ファンもSNSなどで散発的に言うのではなく、組織的に苦情を言うべきだし、マスコミも問題にすべきなのだが、そういう動きはみられないようだ』
これは大袈裟でなく、人権に関わる問題だ。
そうして、今回のことで改めて明らかになったが、人権は資本や権力には勝てないのだ。
だからこそ、少しずつ、権利を獲得していかなければいけない。また、一度獲得した権利は死守しなければならない。隙を見せてはいけない。
少しでも油断をすると、資本や権力はすぐに我々の権利を侵しはじめるのだから。
野球以外のことでいうと東京オリンピックもそうであった。そもそも酷暑の東京でオリンピックなどは開いてはいけなかった。
人権が資本や権力と戦わなければいけないというのは国境を越えた問題だ。何故なら人権の侵害というものは国境をも越えて、民主国家と言われる国すら脅かしかねないものだからだ。
それはおそらく、どちらかというと人権が尊重されているほうが不自然だからなのだろう。
だからこそ、たとえ主権を侵害する恐れがあったとしても他国の人権問題にも関わっていかなければならない。
欧米各国が他国の人権問題にも干渉するのはそのためなのだろう。本人たちが自覚しているかどうかは知らないが、迫害されている人たちのためにやっているという倫理上のことで動いているというよりも自分たちの権利を守るためにやっているのだろう。
ついでだが、捕鯨を巡る一部の欧米人の主張も同じ論理で説明できるだろう。
こういうことは、比較的穏やかな歴史を持つ我々日本人にはわかりづらいことなのだろう。私も、理屈ではわかっても、感覚としてわかっているわけではない。やはり色々いっても日本人が日本人であることは幸運なことなのだ。
しかし問題はこれからのことだ。我々も諸外国を動かしている論理を理解しなければ立ち居かなくなる時期はもう既に来ているのかもしれないのだ。