大阪なおみ選手の言動が広く波紋、物議を呼んでいます。
彼女が全仏オープンにおける公式の記者会見を拒否することを発表し実際にボイコットした当初は賛否がありました。どちらかというと否定的な意見が多かったようです。
しかし大会を棄権してうつ病を告白してからは女子テニス協会が、またメディアや著名人の多くが支持や賛同を表明するようになりました。
流れが変わったのはうつ病という事実が重かったからだと一般的には思われているようです。
勿論それは大きな要素でしょう。しかしそれ以上に大阪選手のとった行動と選んだ言葉が状況を変えたのだと思います。
大阪選手が本当に公式記者会見に出なかったとき女子テニス協会は今後の四大大会への出場を禁止することを示唆しました。
それに対して大阪選手は抗議をすることはありませんでした。また協会の対応が不当であると裁判所などの公的機関に訴えることもしませんでした。自らのうつ病を告白した声明も極めて謙虚でどちらかというと迷惑をかけて申し訳ないという心情をあらわしたものでした。
こういう言動は私たち日本人にはお馴染みのものです。また欧米人には受け入れられないと思っていたことでもあります。
しかしそれが共感と賛同を生んでいるのです。
これは何故なのか。それを理解するためにはまず私たちが日本的な特性だと思ってることの原因を考えなくてはなりません。
これは私のアイディアではないのですが(どこかで読んだ本の中にあったことなのですが、それがどの本なのかは忘れました)一般的に日本人があまり自己主張をしないのは日本には待っていれば利益を得られる順番が廻ってくるという特性があるからである、また逆に集団の論理に逆らうことは利益を得るためには絶対といっていい位にやってはいけないことであり、つまりは自己主張などはもっての他ということです。
求められる具体的な態度としてはとにかく低姿勢で自分に非が無いようでも取りあえずは謝るという我々日本人にはお馴染みのものになります。
大阪選手がとった態度は正にそういう日本的なものです。そうしてそれが日本以外の国々にも認められ評価されてるようです。
今まで我々は“欧米のことは良く知っている”という顔をした人たちから「欧米では謝ったら自分の非を認めることになり交渉が不利になるので絶対に謝ってはいけない」と言われてきていました。
欧米人も元々同じ人間なのですから文化が違うといっても程度問題であり彼ら“欧米通”の言っていたことには誤解もあったと思われます。
しかし本当に日本以外の国の人たちの考え方に変化がありその結果日本的謙譲の美徳が受け入れられるようになったのではないでしょうか。
そう思える理由として、よくいう地球環境に対する意識の変化があります。
くり返しになりますが日本人が自己主張をあまりしないのは日本全体が一つの共同体であるということにあります。
対して日本以外の多くの国々の人々が自己主張が激しく常に争いも辞さない覚悟を持っているかに見えるのは、彼らは常に自分たちとは習慣も宗教も違う、本当の意味での敵と争う可能性がある状態を、負ければ皆殺しになるかもしれなかった歴史を背負っているからです。
同時にそれは資源に限りがあることを知らない者たちがとる態度でもあります。(敵対する者を滅ぼして彼らの資源を再生産出来なくなるくらいにとりつくしても、また別の者たちから奪えばいいというのは“資源が尽きるまで奪いつくす可能性がある”という発想がないもののとる態度です)
勿論資源には限りがあることは今は世界中が理解しています。そうであるならば我々は協力して資源を分けあわなければいけません。つまりはこれからは日本的な謙虚さがスタンダードになる可能性があり大阪選手はそのことを世界中に示してくれました。
こういう時に良くあることなのですが、それを本家本元だけが理解していないということがあります。
特に日本人は世界の節目が変わることに鈍感です。(帝国主義の時代は終わったのに植民地を拡大し続けた、また現在デジタル化に遅れていることもその表れかもしれません)
まさかとは思いますが(もしも本当に)諸外国が謙虚になり始めた時、相手が弱腰になったなどと勘違いして一周遅れの強気な自己主張などを始めて苦笑いと顰蹙を買い、最悪の場合、村八分にならなければいいのですが。