時事その他についての考察

「古畑」の再放送がやはりズタズタだった。消費者軽視は衰退への一本道。CMのない番組は本当につくれないのか。

視聴者から再放送の要望が高かったという「古畑任三郎」シリーズから三作品が放送されている。

時間帯は夕方である。しかし何故かは知らないがこの時間帯のドラマの再放送は挿入されるコマーシャルがやたらに多い。

もともと一時間枠のドラマを同じく一時間枠で再放送をし、しかしコマーシャルは本放送よりもかなり多いのだから全てのシーンが再放送できるわけがない。結果として第一回目のプロ棋士の話はずいぶん雑な展開になってしまっていた。(第二回の外科医の話はあまり乱暴な感じはしなかった。また再放送の編集を担当した方の名誉のためにも言わなければならないがどちらの話でも強引な編集による矛盾点のようなものは無かったようです)

テレビというのはテレビ局やスポンサーにとってはテレビ番組を見せるものではなく、コマーシャルを見せるものだ。だから取りあえずコマーシャルが多いことは不問にするが内容をカットするのはいただけない。

(「古畑」は当然フジテレビだ。同じく夕方に「相棒」などの再放送をよくやるテレビ朝日ではそういう問題を感じたことは無い。ただこれはこっちの勘違いかもしれない)

解決方法は簡単で、放送時間を長くとればいい。コマーシャルを余計に入れるぶん五分でも十分でも放送する枠を伸ばせばいい。

しかしそれが田村正和さん追悼のための放送という名目があってさえ出来ないということは内部の事情があってなかなか難しいこなのだろう。

放送する枠が違うということはスポンサーが違うということだろう。そうするとそちらとの折衝が必要になっている。また一つの番組の時間が伸びるということは別の番組が短くなるということだ。番組をつくる人にとっては放送枠というのは死守すべきものなのかもしれず簡単には譲れないものなのかもしれない。

でもそこにどんな理由があろうとそれは組織内部の事情だ。

視聴者には関係のないことだ。

現在という時代は消費者の要求が高くなってしまっているので消費者をないがしろにする商売の先は暗いものと思える。内部事情を優先して(スポンサーも内部に入る)視聴者の欲求を見ようとしない組織は衰退していまうだろう。

ところでコマーシャルを無くすることは出来ないだろうと述べたがどうだろう。

企業がテレビ番組にお金を出すのは一つには特定の商品の売上げを伸ばすためであり、一つには企業イメージを上げるためだろう。

コマーシャルはその手段であって決して目的ではない。

例えばコマーシャルを挿入しないテレビ番組の製作費を出して、番組の冒頭でそれを紹介するといった形で宣伝するというのはどうだろう。企業イメージが上がるのではないだろうか。少なくとも本邦初の試みにはなるはずで話題にはなるのではないだろうか。

またこれは昔からあるやり方だがそれがドラマであればドラマの中で商品を宣伝することもできる。例えばプロスポーツの話であればユニフォームや試合場に企業名や商品名を入れることができる。その分コマーシャルは無くするか極端に少なくできるかもしれない。但し今までのそういう手法がそうであったように不自然であったりあざとかったりしてはいけない。

衰えが指摘されるとはいえテレビ局はまだまだ巨大な存在だろう。だからこそ変革が難しいのだろうが一時期の日本映画界のようにはなって欲しくないのである。

《6/7と6/8の再放送を観たところカットされていた感じはしなかった。本編が短すぎる気はしたがこっちの気分の問題かもしれない。しかしその他の再放送ではガッカリするくらいのカットがあることには変わりはない》

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。