時事その他についての考察

例えば仏教の変容などは受け狙いの結果。

非難しているのではありません。そういうものだと言っているだけです。

だって、日本の仏教は、最後には念仏を唱えるだけでいいってなったわけでしょう。それを主張した浄土真宗が一番広まったと習いました。

これは、ですから、お坊さんが、人々に仏教の有難味をわかってもらい、救われて欲しいと思って、そのために仏教の教義を強引に解釈して、人々に受け入れられるものを作った結果に他なりません。受け狙い以外の何者でもありません。

人々に受け入れられるために工夫、努力する、それは、いわいるアイドル歌手の業界でも、テレビドラマの世界でもおんなじことです。そこに上下の関係はありません。

《ただ、普通「受け狙い」というと、それでお金など、なんらかの得をしようという意図が感じられてしまいますが、ほとんどのお坊さんたちは、純粋に民衆のためにと思って仏教を変えていったのだろうという点では大きく違います》

では何故そこに権威の違い、上下関係があるのか。

歴史の長さではないでしょうか。長く続けばそのうちに偉くなるのでしょう。それだけ、続くということは、大変だということでもあります。

宗教なんかは何千年、体系づけられる前からだと何万年の歴史があります。それに対してアイドル歌手やテレビドラマなどはつい最近出てきたものです。

それより少しは古いものでいうと、例えば小説があります。今は小説家は大衆向けのものを書いていても権威があり尊敬もされます。しかし昔、菊池寛の「真珠夫人」などはいくら人気があっても所詮は大衆のもの、低俗なものと思われていたでしょう、権威のあるところでは。

ロック・ミュージックをとっても、ビートルズなどはそれが権威筋から認められたのは(少なくとも日本では)解散して随分経ってからでしょう。若い頃から聴いていた人が発言力を持ってからでしょう。

マンガやアニメも同じです。

人気がある、人々に支持されているものにはやはりなにがしかの敬意を払うべきだと思います。たとえそれが自分の好みにあわなかったとしても。

多くの人たちが支持しているということは、そこになにがしかがあると思うべきでしょう。

また、作り手がそれにかけた時間と労力を考えても一度位見たり聴いたりしただけで軽々に判断するのも間違いのもとです。(ぼくも良くやっちゃいますが)

映画などはストーリーがあり、画面があり、役者は演技するはカメラワークはあるわ、情報が多いので、初見だけでは面白さがわからないことがままあります。しかし、二度目からはストーリーを追わなくてもいいので、他のことに目配りができて良さがわかったりします。

何を言っているのかというと、権威のあるものでも必ずしもその権威にひれ伏す必要もないし、世間から軽く見られているものでもその真価を見抜く目を持ちたい、少なくとも周りに合わせて馬鹿にするようなことは厳に慎まなければならないということです。

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