どういう事件だったのか、というのはお手数ですが、前の投稿を見ていただきたいのです。
遅ればせながら思いついて、Twitterで検索したところ、段々、事実が見えてきたようです。
今のところ、初めに思われていた、真面目な高校生に対して、強引な私人逮捕が行われて、かつ、留置場に20日間にわたって勾留された、という見解に対して、一番極端な反論は以下の通りです。
・当該高校生は定時制の生徒であり、年齢も20歳 。
・いわいる過激派に属している、少なくともその周辺にいる人物。
・初めにこの事件を報道した報道機関も過激派につながりがある。
・それらから判断して、私人逮捕とその後の勾留は正当なもの。
これもどこまでが事実なのかはわかりません。しかし、当初思われていた、もしくは思わされていた類いの事件ではないことは確かなようです。
気の毒なのは、短絡的に公権力を批判してしまった著名人たちです。余計な恥をさらしてしまったのと同時に、事実関係が確定しないうちに結論めいたことを出してしまうという思慮不足も露呈させてしまいました。
著名人のなかではフィフィさんが見識を披露しました。“判断は少なくとも、当該高校生が配っていたというビラを見てからにしよう”、というのは思慮深い態度でありました。
動画は怖いのです。印象が強烈なので、考えが誘導されやすいのです。
ですから、冷静な判断をしたいと思ったら、動画の類いは初めには見ないほうがいいです。
さて、当該高校生が初めに思われていたような人物ではなさそうだ、というので、私人逮捕をした副校長や警察、検察、裁判所(勾留の判断に裁判所も関わっている、という話もあるので)がしたことは正当性かある、という結論になってしまうのかもしれません。
もし、そうなってしまったら、私たちは再度、間違ってしまうことになります。
結果的に当該高校生が危険思想を持った社会秩序を乱す人物だったかどうかと、不十分な証拠で逮捕、勾留され続けた、ということは分けて考えなければいけません。
最も恐ろしいのは、今回の逮捕、勾留がおそらく法律に乗っ取っていることだろう、ということです。
よく、刑事ドラマで、別件逮捕など、違法とも思えることが行われることがあります。
おそらく、それらは実際に行われていることで、つまりは、法律というものは、幅のある、解釈の余地のあるものなのです。
そうして、それを解釈できるのは、私たち市井のものではなく、為政者の側だけなのです。
つまり、当該高校生が受けた仕打ちは、公権力がその気になれば、私たちの身にもおきることなのです。
しかしながら、勾留が20日で済んだ、と思うべきなのかもしれません。公権力といえども、それ以上のことまではこの程度の案件ではできないのかもしれません。そうして、それは法治国家といえる要件といえることなのかもしれません。
(但し、それも、当該高校生が黙秘を貫いたように、権力とどう対峙したらいいのか、という知識と、それを貫ける精神力があってのことなのかもしれないのですが)