あるきっかけがあって、自分がもしも、見に覚えのない罪、もしくは、否定し続けると決めた罪に問われて警察などの取調べを受けたとしたら、黙秘し続けるのがいいのか、否定し続けるのがいいのか考えました。
結論としては、黙秘にまさるものはない、ということになりました。
ただし、これは、警察その他とまともな話が出来なくなったときのことです。普通の事情聴取でかたのつくことであれば、相手の敵意を煽る戦術である黙秘はやってはいけないことでしょう。
ところで、以前にも述べたことですが、警察の仕事というのは、刑事ドラマでいわれているような、事実を見つけることではなく、社会秩序を守ることです。
事件が起きたときに、真犯人を捕まえることができればそれが一番、いいことですが、彼らにとって、もっと大事なことは、真犯人を見つけて、事件を解決したものとして、社会の安寧を保つことです。(よく、主人公たちの敵役である、上層部のいうことが、ですから、現実に近い主張なのでしょう)
極端なことをいえば、捕まえてしまえば、それが真犯人なのか、それとも冤罪なのか、などということはどうでもいいのだと思います。
ですから、彼らが、彼らの論理でこいつが犯人だ、と決めてしまったら、決められてしまったら、ここから逃げ出すことは相当に難しいことです。
なんてったって、相手はプロフェッショナルなのです。私たちに、やってもいない罪であっても、それを認めさせることはお手の物でしょう。それをさせるための技は豊富に持っているでしょうから。
その時です。黙秘をつらぬくか、否定し続けるのかを考えなければいけないのは。
黙秘も否定の一種でしょうから、それよりも、否定し続けたほうが信憑性もあがるだろうし、潔白であることを信じさせる有効なやり方だと思ってしまいそうです。
しかし、理屈が通じる段階は過ぎてしまっているときには、それを前提として考えなければいけません。(相手がどういう風に話を持っていこうとしているかを見極めて、こちらのやり方を考えることは、こんな極端なケースではなくとも重要なことです。いかに善意で、正しいことを訴えても、相手はそんなことは初めから知っていて、知った上で自分の主張を通そうとすることなどは市井の人の人生でもたまにあることです)
理屈の通らない、あとは我慢比べしかないことになってしまったときには、なるべく相手に情報を与えてはいけません。
「わたしはやっていない」とくり返しいうだけのことでも、そこには豊富に情報が入っているのです。疲れや苛立ちで声のトーンが変わってしまうことは、相手に付け入る隙を与えることになります。(「どうした、疲れてきたんじゃないのか。早くしゃべって家に帰れよ」―わたしは刑事ドラマを見すぎているようです―)
付け入る隙を与える、あなたを攻撃する方法を与えることは、相手に戦意を与えていることにもなります。先程申した通り、ことは既に我慢比べになっているので、相手のやる気を増してしまうことはやってはいけないことです。
勿論、黙っていても表情は変わってしまうでしょうし、それは付け入られる隙ですが、言葉を発するよりも、与える情報は少なくてすみます。
我ながら何を書いているのかと思いますが、以前書いた記事のなかの、20日間警察に勾留された人のことを考えていたらこんなことになりました。
そう、20日間なのです。はっきりは言えませんが、多分、刑事訴訟法で、容疑があるだけで勾留するのは20日が限界だったりするのでしょう。
ですから、もしも見に覚えのないことで警察に捕まって、逃げ場がないように思えても、20日、耐えて下さい。(本当に、誰に何をいっているのでしょう)