何故アメリカで人種差別がなくならないのか、これは武器規制がおこなわれないこととも、さらには、アメリカの持つ活力とも関係することです。すなわち、多様性にその原因がある、と考えます。
以前、アメリカには日本のような教科書の検定制度というものがないのだ、と聞いて驚いたことがあります。
しかし、考えてみれば、それが当たり前で日本が特殊なのかもしれませんが。
いまでも、進化論を否定したり、キリスト教の教えを前提にした教育をおこなっている地方もある、などということも聞きます。
いずれも正確なことはわかりませんが、そのあたりの細かい真偽はあまり問題ではなく、ここでの要点は、日本のようにすべての教育現場でまったく同じことが教えられているわけではない、ということです。
その結果として、さまざまな考え、信念をもつ、多様な人々が存在する、存在し得る、こととなり、そのなかには人種差別をすることが正しい、と思うものも、銃規制などはもっての他である、と信じる人もいるのでしょう。
そうして、その多様性、社会の根幹に関わることのなかにさえ統一されていないものがある、それがあり得る懐の深さがアメリカの活力の基の少なくとも一つの原因であるでしょう。
だからといって、人種差別、なかんずく差別感情に基づいた殺人などが許されるわけはないのですが、これを正すことはアメリカの利点を潰すことでもあります。残念ながら、すべてにおいて優れたものなどというものは存在しえませんので、欠点をなおすことは長所を弱めることに繋がるおそれがあるのです。