時事その他についての考察

ヒトの到達した知恵とやらと新型コロナウィルスは敵ではあるが悪ではないこと

初めて原子力発電の仕組みを聞いたときにびっくりしたのはわたしだけではないと思います。

だってそれはワットの作った蒸気機関(1769年に特許取得)の燃料を、石炭からウランやプルトニウムに変えただけなのですから。

古代から私たちがエネルギーのもととして使っている、木材も石炭も石油もウランも結局のところ、こうすればエネルギーがとれる(燃やせる)ことがわかってそれを利用しているだけで、それをもとに戻したり、そうでなくても、廃棄物の毒性を無力化すること(放射能に限った話ではありません。木を燃やしたって、石炭、石油を燃やしたってヒトのとって害になるものはできちゃうわけです)はできないし、やる価値もありません。価値がない、という意味はエネルギーを取り出したものから出るものを元にもどすには理論的には取り出したものと同じ量のエネルギーが必要ですから、ただのいってこいになってしまうのです。

但し、これは化学的にやった場合の話で、物理的、すなわち、埋めたり、なにかでくるんだりするのはまた別の話です。

今は、大気に捨てる、海に捨てる、土の中に捨てる、いずれもあまりいいやり方ではない、となっているので、あとは宇宙に飛ばして捨てる位しか残っていません。多分、近い将来そうするのではないでしょうか。

石油も石炭も太陽エネルギーが凝縮したものです。原子力はビックバンのエネルギーを取り出すことでしょう。(違うかもしれません)ビックバンエネルギーが一体、どこからきたのかは誰も知りませんが。

ですから、私たちがエネルギーをとっている方法はそれが原子力エネルギーであろうと、原始的といえば極めて原始的なものです。それを利用して色々なものをつくったりなんだりして利口そうな顔をしているわけですが、猿知恵といえば猿知恵です。どうも、皆、自覚していないようですが。但し、それは、それだけ伸びしろがある、ということでもあります。

エネルギーを取り出す方法というのは、つまりは凝縮しているものを分解する、すなわち、壊す、ということですが、これもとりあえず試してみて、『ああこれはこうすればエネルギーが採れる(すなわち、燃やせる)のかぁ』というのがわかったことをやっているだけで、本質的なものは何もわかってはいないわけです。なにせ、もとに戻すことすらできないのですから。取り出せるエネルギーも、いつまでたっても熱エネルギーだけですし。(原子力は違うだろう、といいたい気持ちはわたしだってヒトですからわからないではありません。しかし、その違いなどは宇宙の謎から考えるとほんの、少しの進歩でしかありません。嘘だと思うのであれば天国のアインシュタインに聞いてみて下さい。それができないのなら、一流の物理学者に聞いてみて下さい)

同じことはエネルギーに限らず、私たちの知っているすべての法則にいえることです。

すべてのことは経験則でしかないのです。そもそも科学の根本をなす方法論そのものがそれを物語っています。すなわち、まず、仮説をたてる。実験をしてそれをしめす。実験は一度だけではなく、あらゆる可能性、反証を考えて、そういう反論に耐えられるものにする。それができて初めて、仮説が証明された、とみなす。

最終的には現象に頼る。すなわち、経験則に従うしかないのです。そうして、それは、私たちの属しているビックバン宇宙のなか、しかもそれが膨張している間だけ当てはまることでしかないわけです。

根っからの怠け者であるわたしが一番好きな物理の法則は熱力学の第二法則、すなわち、エントロピー増大の法則でして、これはつまり、世界は秩序から無秩序に不可逆的に向かっている、というやつで、簡単にいうと、掃除しても掃除してもすぐ部屋は汚くなる、ということです。

これだって、もしも、宇宙が膨張から収縮に変わったら逆になるのかもしれません。ちらかしても、ちらかしても すぐに片付いてしまうようになるのかも しれません。

かつてアイザック・ニュートンは知識を海に例えて、その広大さ、深淵に比べれば、自分が見つけたことなどは海岸で遊んでいる子供のそれに過ぎない、という意味のことをいったそうです。やはり、第一人者ともなると自らの立ち位置というものがよくわかるのでしょう。

ところで、何故、今、こんなことを考えるのだろう、と考えて、答えが出た気がします。

今の危機とそれに対応するヒトのいっていることが(やっていることではなく)しっくりこないからです。

新型コロナウィルスはヒトに害をなすものですので、敵であることは間違いありません。

ここから申し上げることはこのウィルスで亡くなられた方々のご遺族をはじめとする、関係者の皆様には不愉快なことかもしれません。万が一、そうい方々の目に触れることがあればそれは申し訳ありませんです、とあらかじめ申しておきます。

私たちにとって敵であるからといって、それが悪い存在というわけではありません。どちらかというと、お互いにこの世界で必死に生き抜こうとしている同志である、としたほうが近い存在です。

そもそも、もしそれが野生動物から出てきたものだとすると、お互いに住み分けてきたものを、ヒトの側が勝手に引っぱりだしたのだといえます。

《人類の歴史は疫病との闘いだ》などといいます。それはそうかもしれませんが、私たちの側が相手の生活圏に踏み込んでいった結果そうなったものがほとんどでしょう。勿論、それで、敵となったものであれば戦わなければいけませんし、わたしも一緒に戦いますが、被害者の振りをするのに付きあう気はありません。

ヒトはそんなに優れたものでも、ましてや 立派なものでもありません。すべてのものとは共存するべきであり、今後も生き続けたいのならば、そうすることしか方法はないのです。

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