今の危機を契機に当然のことですが、温暖化論議が新しい方向に進んでいます。
この論争は大分すると2つに分けられます。
すなわち、低成長に切り替えて温暖化を止めるか、
もう1つは技術革新で難局を乗り越えるかです。
ヒトは今まで技術革新で難局を乗り越えてきたました。別の言い方をするとそれしか知りません。それ以外の方法をとったことがないのです。
世界史上、一番有名な技術の衰退といえばローマ帝国の滅亡とその後の中世ヨーロッパで起きたことでしょう。別段、ローマが滅んだとしてもその高度な技術が無くなる理由にはなりません。しかし現実にはそれは失われてしまいました。これは堺屋太一さんによると、当時、燃料は木材しかなく、それが乱伐でなくなってしまったからだ、ということです。エネルギーが無ければ技術力も使いようが無いというわけです。
そういう強制力がないと私たちにその成長を止めることは出来ないようです。
低成長と技術革新。どちらが妥当なのか、本来、より良い選択なのかは知りません。しかし、現実的に低成長は私たちには出来ないのです。
つまり、私たちは良心や理想に添って、皆が足並みを揃えて行動することは出来ないということです。
《もしかしたら、フランス革命やロシア革命、または日本の明治維新はそうではないのか、という反論があるかもしれません。しかし、わたしとしては、これらはそういう美しいものではなく、単に富や権力を奪い合ったものである、と解釈します》
せいぜい十万人くらいまでではないのでしょうか。それが出来るのは。
現在、ヒトは六十億をこえる数がいます。それらの人たちを同じ目的に向かわせることは出来ないようです。
わずか二週間、外に出てはいけないということも守れないのですから。
悲観することもありません。今まで技術革新で実際に乗り越えてきたのですから。勿論、それが今回も成功する保証はありませんが、二万年続けてこれたことが、今、終わる、というのも確率として考えてにくいことです。
繰り返しになりますが、いずれにせよ、実際は技術革新で乗り越えられるか、失敗するかでしかなく、低成長に切り替えることは私たちの選択肢には、無いのです。