時事その他についての考察

歴史の年号

学生の時には、歴史というものは流れを知ることが大切なのであって、年号などというものは覚える意味がない、と思ってほとんどこれを暗記する努力をしませんでした。しかし、後になって、年号を覚えることの大切さを知りました。

年号を知らないと、たとえば、織田信長とナポレオンはどちらが先の時代の人か、といった簡単な問題にも即答できません。勿論、考えれば、織田信長の主要な武器は鉄砲であり、ナポレオンは士官学校で砲科を専攻しているので、ナポレオンがあとの時代の人に決まっています。別の考え方で見ると、日本に鉄砲を伝えたのはポルトガル人であり、また、豊臣秀吉とスペイン全盛期のフェリペ二世は同時代人です。世界をスペインとポルトガルが牛耳っていた時代からスペインの無敵艦隊がイギリスに完敗して、その後イギリスが世界に君臨し、フランスがそれに追随 するわけで、それから、アメリカ独立、そのあとがフランス革命ですから、それからみても両者の時代の隔たりは明らかなのですが。またまた別の見方をしますと、ナポレオンの没落のあと、ヨーロッパは三十年ほど大国の協調の時代に入り、そのあとドイツにビスマルクが現れ、ドイツ統一、ビスマルクの失脚あとのドイツの外交の破綻と暴走、そうして第一次世界大戦勃発と歴史は続きます。つまり、ナポレオンは現代にそのままつながる時代の人なわけです。織田信長の場合は、豊臣秀吉、徳川家康と権力者が移り変わり、長い江戸時代が始まるのですからやはり、近世の人です。生没年などをしるしますと、

織田信長 1534―1582

ナポレオン 1769―1821

ナポレオンと同時代の日本人を調べてみましたら、寛政の改革(1787―1793)を行った松平定信が1759―1829が近い人でした。

もう一つ日本が絡む年号の話をしますと、江戸末期、日本に開国させた国はペリー長官のアメリカです。ところが、1858年の日米修交通商条約を結んだタウンゼント・ハリスの物語以降、日本の歴史からしばらくアメリカは姿を消します。あるときにそれに気がついて不思議に思ったのですが、しばらく考えてわかりました。アメリカでは南北戦争(1861―1865)が起きる時に差し掛かっていたので、日本どころではなかったのですね。

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