時事その他についての考察

どんなことでも大きな変化があれば儲ける人はいます

ここ最近の新型コロナウィルスをめぐる混乱で金銭的な被害を受けている方々も多いといわれています。しかし、世の中に動きがあるときには、目端の利くものにとっては、これは金を儲ける絶好の機会になります。

これは、理屈では皆、すぐ気が付くことではあります。

“ウィルスが蔓延するとなると、何が必要とされて、逆に打撃を受ける業界は何かをいち早く見極めて上がり目のものには乗っかり、しばらくは運営が難しくなりそうなところからは手を引く”

理論上は至極、簡単なことです。しかし、実際にそれを見極めて実行するのは言うほど簡単なのではないのでしょう。例を挙げると、トイレットペーパーが極端な品薄になる、などということを予測するのは結構な難易度です。

ではありますけれど、マスク、または、消毒用アルコールなど、殺菌や医薬関係のものが不足するだろうことはかなり容易に予測できます。

(実際のメーカーの株価などがどう変わったのかは調べていないので知りませんが)

大きな話題になったところでは、マスクの高額な転売がありました。但し、本当は、こんなのは小商いでしょうが。

どう儲けても全く構わないのです。構わないのですが、そうして、いわば泡銭を掴んだ人が、そうしていない人たちの知能程度を疑ったり、自らをあたかも利口もののように考えるのは考え違いであります。世の大多数の人たちがその様なことに関心を持たないのは彼らが利口ではないからではありません。長い目でみたときにそういうお金の儲けかたは自らや家族などのためにならないことを無意識に知っているからです。(何事にも例外というものはあります。一時の投機的な利益を元手にして富豪といわれるまでになり、子孫の繁栄に貢献した人も沢山、いるでしょう)

一言でいうと、そういう商売は堅気のものではない、ということです。堅気の商売ではない、ということの意味は、長続きしにくい、ということです。そのため、長い期間での収支を考えたときには、こつこつと自らの仕事上の技術などを磨いたほうが身のためになりやすいのです。

(とはいうものの、うまいことをやった人は羨ましいですし、ぼくだって、確率が高く、倫理上も問題のない儲け話があれば乗っかりますが)

もう一つ、つけ加えるならば、目先の利益を常にうかがっている人は、顔が卑しくなってしまいます。ねずみのような顔付きになっても構わないのでしたら問題はありませんが。

最後に申し上げますが、持っていたマスクを高く売ってしまった議員さんが非難をうけてまして、わたしもその非難はやむなし、とは思います。しかし、そのマスクはもともと以前、別のウィルスが蔓延しかけたときに(たしか自社消費用として)買っていたものだ、という彼の言い分が正しいのだとしたら同情の余地はあります。(もし、彼が議員ではなかったら、初めからなんら、非難されるべきことはありません)大量のマスクを長い間置いておいたのも、お金もしくは手間もしくはストレスがかかっていただろうなぁ、と想像するからです。その分の損失の埋め合わせをしようとしたのなら情状酌量の余地はあります。(落語の「千両みかん」にあるように、物の値段には保管料や時間の経過による自然的な損失も含まれます)

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