大袈裟なタイトルで恐縮だが、我々には、重要なことなのに、解決はおろか分析もせずに放っておいていることがある。
(失礼ながら)いわいる頭の悪い人たちの思考回路の研究が全くされていない。
それがされない理由は推察できる。研究を仕事とする学者などにはそれ程酷い頭脳の人が少ないからだろう。彼らは世の中の人たちがどれほど論理的に考えられないのかを知らないのだ。つまり、そこに重要な研究テーマがあることに気付いていないのだ。
本当は、頭が悪い、とひとくくりにするのは、それこそ頭の悪いことだ。
頭の悪さにも様々な種類があるから。(それは頭がいい、ということにも言えることだろう)
だからまずはそこから初めなくてはいけないのだろう。
※一応言っておくが、頭が悪いというのは悪いことではないし、そういう人を責めてはいない。それは足の遅いからといって悪いことではないし、それを責める人はいないのと同じことだ。また、頭が悪い、という直接的で不正確、かつ感じの悪い表現をしているのも、わかり易いからしているのであって、悪意は(それほど)無い。
そこから初めなくてはいけないのだけれど、それはまだ全く出来ていない。
取りあえず種類としてあるのは、論理的な思考ができないことと、それともつながるが、飛躍した考えをすることだろうか。(当然、いずれにもモデルがいる。だからこそ、これは学術的にサンプルを集めて解析すべき問題だし、そうしなければ研究できないことなのだ)
もう少し説明すると、論理的な思考ができないというのは、まず、少し複雑な話になると相手の話を理解できない。また、自分が話す段になると、ちゃんと説明をすることができない。
相手の話を聞いているときには、話されている行いが誰によってされているのかがわかっていない、もしくは勝手に違う人がやっていると思い込んでいる。
自分が話をするときには、誰が話しているのか、誰がそれをやっているのかを言わない。つまり、主語を言わない。
どうも主体と客体の区別ができないようだ。
区別ができないのは、話の中でのこともそうだし、現実に話をしている自分と、それを聴いている相手の区別も上手くできていないように思う。何を言っている化というと、相手が何を知っていて、何を知らないのかを推察するのとができない。つまり、自分が知っていることは相手も知っていると思い込んでしまう。
主語を言わないのは、自分は主語にあたる人を知っているから、相手も知っていると思い込んでいるように見える。
※そういう傾向は頭が良い人たちにもないわけではない。違いは途中で修整できるかどうかだ。
何故そんな研究が大切かというと、世の中の多くはそういう人たちで占められているからだ。
そういうひとをまとめる、またはそういう人たちで占められている世の中をいい方向に変えるためにはその人たちを研究しなければならない。
研究ではなく、実践として行っているものはある。というより、あらゆる組織がやっているだろう。警察や軍隊を思い浮かべればわかり易い。
しかしそれはその組織内でしか通用しない。組織を外れている人には関係のないこととなる。
大衆を相手とした例では、やはりナチスドイツがあるだろうか。
その延長上としての広告戦略もある。
また、各種売れている商品や小説などもその一種だ。
しかし、それらは利益を追求する手段としてしかなされていない。
(人間の行動なのだから最終的には利益を目的とするのは当たり前なのだが)そうではなく、学術的に、客観的な研究が求められる。