例えば現在の日本のインフレーションを放置していると政府を批判する人。
もっと高いインフレに陥っている国々のことには触れない。
日本の衰退を論じ、政府の無策や腐敗を責める人は依然として日本社会が未だに安全で安定していることには触れない。(これはもともとあったものだともいえるが)
社会格差の拡大を政策のせいにする人は、格差は世界的な傾向であり、日本の問題というよりもグローバル化に伴った世界全体の問題であることには触れない。
それらの批判が全て間違っているとは言わない。そういう側面もあるだろう。
しかし、一口に言って浅すぎる。
仮にも何かを、誰かを批判するのならば、その当事者がどういう意図でそれを行ったのかくらいは想像しなければならない。
一例として、竹中平蔵氏に対する批判がある。
批判者は小泉政権時代の竹中氏の政策によって(派遣の拡大)格差が拡大し、それのみならず、竹中氏本人がその政策に乗じた会社(人材派遣会社)を通じて大きな利益を得ていると非難する。
そもそも、これはまず、竹中氏の行った政策の是非と、竹中氏本人の蓄財とを分けて考えなくてはならない。
私の知る限り、竹中氏に対する全ての批判はその二つをごっちゃにしている。
政策は妥当であったが、それを利用して蓄財するのは道義的にないだろうということはあるかもしれない。
または、政策も間違っていたし、蓄財に至っては言語道断ということもあるかもしれない。
政策は正しかったし、蓄財も問題はない、ということもありうる。
まずは竹中氏の行った政策であるが、これはグローバル化によって労働者の格差が広がったことに対するいわば追認に過ぎない。
当然、企業からの圧力もしくは支援もあっただろう。
大体、日本一国のみで世界的な賃金の格差の傾向に反する政策が可能だったのか、可能ではあっても妥当なものだったのかは批判者は言わない。
蓄財に関しては、正確なところがわからないので何とも言えない。
批判者は竹中氏は自らの行った政策を利用して不当に利益を得ているという。私は竹中氏の反論を聞いたことがあるが、それによると、竹中氏が関わっている人材派遣会社は、竹中氏が行なった政策以前から行われていた法律に基づいた事業しか行っていないという。私個人もそんなわけはなかろう、とは思うが、事実関係は知らない。
断っておかねばならないが、これは竹中氏を擁護する文章ではない。
あくまでも、安易な批判を非難する文章である。
くり返すが、正当な批判をするためには、少なくとも批判対象の意図くらいは想像または推測しなければならない。