どんなインタビューだったか。質問者が段々プライベートな事柄を聞き出したのだ。
それはいいのだが、別れた妻である、ニコール・キッドマンとの現在の関係などに話を進めてきた。
それに対してクルーズは、「なんて答えたらいいのだろう」などと笑って「いや、いい関係だよ」などと答えていたのだが、(クルーズとしてはこの辺りでやんわりとそういう質問はやめてくれというシグナルもしくは警告を出しているつもりだったのだろう)質問者が更に突っ込んだ質問を続けできたので、「○○、(相手のファーストネーム。アメリカなので)その質問は一線を越えているよ」インタビュアー「越えていたかい?」「ああ、完全に」とインタビューは進み、当然、プライベートな質問は終わりとなった。
注目すべきなのは、其のインタビューの最中、クルーズは終始口元に軽い笑みをたたえていたことだ。質問が微妙なことに及んでくるに従って、目はいくらか真剣になったのだが、笑みは絶やさずに、声色にも変化がなかった。
別に、ある、日本のテレビや雑誌などで活躍するイタリア人に対する、いわいるドッキリ撮影を見たことがある。
それは、一口で言えば、失礼な発言がどれだけ許されるか、というものだった。
ドッキリは、テレビ出演の前、楽屋で共演者という設定の男性の芸人と雑談するという形で行われた。
別に全てのイタリア人がそういう人ではないだろうが、失礼な発言に対する反応は早かった。
日本的な感覚では流すような発言にでもすぐに反応して、即座に真顔になった。
それでも普通の話に戻った時はまだ笑顔で話していたのだが、二度目の失礼な発言では、それはどういう意味か?と凄んでみせ、三度目では、殴ろうか?と脅してきた。(その辺りで収録は強制終了)
いや、そのイタリア人を責めるつもりはない。怒って当然の内容であったのだから。
しかし、トム・クルーズと比較すると違いは歴然としている。
我々日本人はどうであろうか。
トム・クルーズのようにきれいに誇りを守れる人は稀だろう。
そのイタリア人のようにでも一線を確保できる人でもどのくらいいるだろう。
(さっきのドッキリはイタリア人だけでなく、何人かの人に行っていた。そして、日本人はみな、失礼な発言を適当に誤魔化していた)
こういうのは、子どもの頃から躾けられないとなかなか身に付かないのではないか。
仕事などでもある。安易に他人の仕事を手伝ってしまい、それが当たり前になってしまって納得できない思いを抱いたことのある人は多いだろう。
友人関係でも、雑用的なことを気軽に引き受けてしまって、まるで自分がその係であるかのような扱いを受けた経験がある人も沢山いるだろう。
そういう、自分のテリトリーを把握して、これを守るというのは日本人の苦手とする分野である。
かくいう自分も、なかなか上手くできない。