それがどうしてかというのは簡単といえば簡単で、子育てに求められていることと、それにかける人手が釣り合っていないからです。(そんなことはわかってんだ!と言われそうですが)
子育てに求められることが高くなっているのは、子供の価値が高くなっているからで、何故子供の価値が高くなっているのかはいうまでもなく、少子化が原因です。経済の基本通り必要なのに数が少ないものは価値が高まります。
その結果の一例ですが、子供に事故があったら大々的に報道されます。そうして、報道されれば、それが滅多に起こらないことであっても、対策を立てざるを得ません。そうして、子供にとっては世の中のほとんど全ては危険なものです。その全ての危険から子供を守らなければならないならば、一日二十四時間、見守り続けなくてはいけません。それを一人でこなすならば、眠ることも出来なければ、ご飯を食べることも出来ません。そんなこと、できっこありません。
その出来ないことを本人たちも、社会も、やらなければならないこと、さらには、やって当然のことと見なしているのです。
そのように、仕事量が増えているのに、かつてその仕事を分担してくれていた、親や近所の人たちにも頼れません。親とは遠く離れているし、近所との共同体的な繋がりは切れてしまいました。たとえ近所との付き合いがとてもうまくいっていたとしても、現代では万が一事故でもあった時には謝罪だけでは済まないので、頼れることの限界が昔より低くなっています。
そうして、これら全てのことが初めての経験なのです。過去にはこんなにも人との繋がりが切れている時代はなかったでしょう。個人にとっても、国や地方自治体にとっても前代未聞のことなのです。
こうなってしまった一番の原因は、やはり共同体が壊れてしまったことにあるのでしょう。何故壊れてしまったのかといえば、太平洋戦争に負けたから、ということになります。
しかし、我々人間を含め、生物には環境に対応する力があります。ですから、もしも、時間の猶予があれば、現状は改善されるでしょう。それが保育園などの施設の充実か、新たに互助会のようなものが出来る形になるのか、それともまた別の方策なのかはわかりませんが。
現在、実際に苦労されている方々には慰めにもならないでしょうが、その苦労は明日へ導く貴重な苦労なのです。