もう、二十年も前のことですが、旅先で脚本家を目指しているという人と知り合ったことがあります。
その人が、今書いているものとして教えてくれたものだったのですが、なんでも、若くして亡くなってしまった天才たち、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンまたはマリリン・モンローやジェームス・ディーンなどが現代に蘇ったらどうなるのか。といったことを書いているのだ、ということでした。
それに対して何と答えたのかは覚えていませんが、心の中で思っていたことは覚えています。
確かに一見面白そうな話に見えなくもないですが、それは、その天才たちの持っているイメージが魅力的だからです。本来、物語を創ろうとしている人ならば、しかも、これから世に出ようという志を持つほどの人ならば、そのイメージもつくらなければいけないはずです。自分の力で魅力的な人物像をつくりあげ、そのうえで面白い物語をつくる。それが脚本家、小説家の仕事でしょう。その重要な仕事である、人物像をつくることを既に出来上がっている実在した人に頼るなどというのは、少なくとも、これから一人前に成ろうとしている人のするべきことではないはずです。
それを本人に言うことはなかったのですが。
とはいうものの、商売は当たったもの勝ちですから、既にプロになっている人がそういう手法をとることを完全に否定するものではありません。
但し、少しは含むところも出てしまいます。最近ですと、ビートルズが存在しなかった世界に 迷いこんだミュージシャン志望の青年が主人公の映画が話題になっていました。その世界で自分の知っているビートルズの歌を発表してスターになるのですが、その後・・、といった話らしいです。
その映画が面白いかどうかは別として、評価は一段、下げざるを得ません。(勿論、これは勝手な個人の意見です)
翻って、日本の政党の名前ですが、「日本維新の党」?、果ては「れいわ新撰組」?
偏見ですよ、偏見ですけれども、その政党名だけで信用するに足りない、と自ら訴えているようなものです。