何か大きな事態がおきたとき、政権担当者に対する批判で「対応が後手後手になっている」というものがいわば定番になっています。しかし、その批判をしている人たちも情報がある程度出てきてから「あの時はああ出来た筈だった」と後知恵で言っていることがほとんどであり、それこそ後手で言っているわけです。
お亡くなりになった方々には大変お気の毒ではありますが、実際のところ政府のいままでの対応は最善でもなければ致命的な失敗があったわけでもない、まずまずといったところではないでしょうか。
政治、特に民主主義国家での政治は何かが起こってからそれに対応することしかほとんどのできないので、政治に対する批判で「後手後手の対応になっている」というのはそもそも批判になっていません。もし、先見の明というやつをもった政治家がいて、先を見据えた政策を打ち出しても、それを理解出来ない他の政治家やマスコミ、さらには私たち大衆の批判にあって潰されてしまうからです。それを越えて優れた政策を実行できる大政治家を期待するのは、ドラえもんがいたらなぁ、とか、どこかに白馬に乗った王子様がいないかしら、などというのと同じことです。それは天恵を期待すべきものではなく、自分たちでつくりあげるべきものです。
テレビの批判をしても仕方ないのですが駄目なものは駄目なので言いますと、テレビでの報道のほとんどはいつものように論外です。
知っている人には当たり前のことを言いますが、誰かの発言について考えるときには、その人がその発言をする理由を考えなければいけません。テレビのワイドショーに出る人たちの目的は視聴率をとるためと、自分をひとかどのものに見せることであって、公益のために仕事をしているわけではありません。そうして、その為には耳目を引かなければいけません。さらに、見ている人に、なるほど、とか、そうだ、そうだ、と思ってもらえたら尚、いいです。その為には賢しげな政権批判をすることが手っ取り早い方法です。結果として、全体像や政権のとった判断のうち、良かった点には絶対に触れずに、失敗にみえることをあげつらうことになります。
ほとんどの人は安倍さんの立場に立った解釈などは聞きたくはありませんので。
しかし、言うまでもなく、それは公平な批判とは言えません。まあ、ワイドショーなどは見ないのが一番なのですが。困ったことに、一見まともそうなニュース番組も事情は大して変わりません。ですからニュースをみるときには事実を伝えている部分と、コメンテーターとか、キャスターなどといわれている人たちの不確かな意見を区別してみることが重要です。大体において、スタジオ?にいる人のしゃべりは聞かないほうが精神衛生の上ではいいようです。