自分の国を「この国」とは言わないで

今回もタイトルだけで完結しているようなものです。そうして、またまた今回も、そうですね、八割方の方々にはなんのこっちゃ、という感じになってしまうのでしょう。だって、今はほとんどの人が自分の国を表現する時に「この国」といっていますので。

やはり始めに申しておかなければいけないでしょうが、わたしは特に右翼的な思想を持っているわけではありません。一般的な思想を持っている方々に勘違いされるのも心外ですし、右翼的な方々から仲間だと思われるのも困ります。じゃあどんな立ち位置なんだ、といわれれば正統保守派です、と答えたいのですが、今は正統保守という言葉も随分と安売りされているようで。ざっくり、ざーっくりご説明しますと、現実に存在するものには何らかの意味や意義があるのではないか?という思考法をする立場のことです。

ところで、本当はこのテーマで記事を書くつもりはなかったのです。下書きを書いてそのままにしていた位なのですが、国会で小野寺元防衛大臣が、この言葉を、しかも、自衛隊を憲法にきちんと明記すべきだ、という発言をしている文脈で使っているのを聞いて、やはり、捨て置くわけにもいかないだろう、と思った次第です。

じゃあ何と呼べばいいんだ、といわれれば、「わが国」でいいんじゃあないですか、と答えます。昔は皆そういっていたのですが。

サラリーマン(今はビジネスパーソンでしたっけ)であればご自分の会社のことを呼ぶときには「うちの会社」と呼ぶのが一般的ではないでしょうか。自分の会社を「この会社」と呼ぶときは批判するときや悪口を言うときだと思います。

自分の家族を呼ぶときはどうでしょうか。やはり「うちの家族」とか「うちん家」などというでしょう。これも「このいえ」「この家族」というときは何か一言いいたいときでしょう。

《ところで「うち」ってなんでしょう。自分っていう意味で使われているのでしょうか。歌手のmisono さんみたいに。それとも、ある一定以内の範囲、テリトリーの意味合いなのでしょうか。「うちの国」とはあまりいいませんよね》

日本のことを「この国」というとき、私たちは自分が日本よりも一段上にたっているような感覚になります。日本人でありながら日本人ではないような。その辺の日本人とは少し違うんだよ、というくらいの。自分がずぶずぶの日本人であることを認めたくないような。

誰に対して認めたくないかというと、欧米人に対してだろう、と分析しないわけにはいきません。

欧米人に対して日本を説明するときに、言い訳がましく言うときに便利に使える言葉です。「日本ってこんな感じなんだよね。いや、俺は少し違うんだよ。俺はあなたたちに近いんだけどさ」とでも言いたいのでしょう。

私たち日本人は自分を客観的に見ることが苦手なようです。ですから、少し調子がいいといい気になって尊大になるし、多少駄目になっただけでいじいじと内向きになります。

最近、日本の経済は実は既に二流国レベルである。という論調の文章をよく見かけます。欧米どころか、中韓どころか、東南アジアにも既に負けかけているという論説もあります。

その位でうろたえないでもらいたいです。いえ、反省は必要ですし、将来の戦略を立てるのも大事ですが、たかだか金がなくなった位で誇りをなくさないでください。 国というものは栄枯盛衰、ずっと先頭集団でいられるわけもありません。

スティービー・ワンダーは「汚れた街」の中で“ぼくの姉さんは着古した服ばかり着ているけれど、いつも清潔にしている”と歌っています。

村上春樹はその初めての短編で小学生たちが模擬試験を受けに訪れた他校の先生に言われる台詞を紹介しています。人間の尊厳は些細な日常生活の積み重ねから生まれることをさとしてからその先生は言われます。「胸を張って、(ここで小学生たちは一斉に胸を張ります)誇りを持って生きていきなさい」

わたしの知る限り、「この国」という言葉を広めたのは司馬遼太郎です。ことの是非はともかく、それがこれだけ広まったことを思うと人々の精神動向に、私たちが何を求めているのか、を掴むのに敏感な、大した人だったのだな、とあらためて思います。

《ところで、日本以外では韓国の人たちも自分の国のことを「この国」といってそうです。あの人たちは日本人以上に屈折せざるを得ませんから》

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