どうも、ヒトという生物は自分の勢力下にある者を虐げずにはいられない生き物であるらしい。
その結果として、権力の下部に属する人々は必要のない不幸に甘んじざるを得なくなる。
例えば、学校の先生。
先生などという仕事は本来充実感を持ってできる仕事であるはずだ。
しかし、実際には多くの教員の方々は激務と心労で限界に近いという話を聴く。
何故そのような理不尽なことになってしまうのか。
俗に識者と言われるような人たちは、それを人手不足やいわいるモンスターペアレントといった人たちのせい、または児童や生徒の素行をその原因と指摘する。
しかし、その激務の原因はつまらない書類仕事にあるのではないか。
教員は児童、生徒と向き合うことと、授業に集中だけすれば良ければ労働環境は劇的に改善されるのではないのか。
(山口瞳は何十年も前に書いた「けっぱり先生」という小説の中でこの問題を提起している。何でもイギリスでは当時でもそれが実現しているとのことだ。事務はそれ専門の職員が行うらしい)
モンスターペアレントの問題も同じだ。これはモンスターペアレントに限らず、カスタマーハラスメントに共通することなのだが、こんなのは上位者が毅然とした態度を示せばいいことなのだ。
受け入れられないことは受け入れられないと、決定権のある人間が公言すればいい。
それがないから現場の人間が自分や組織を守るために犠牲にならざるを得ない。
工事その他で現場勤務をしたことのある人は知っていると思うが、あらゆる仕事、場面で細かいチェックをしなければならない。法令で決まっていることもあり、各会社が独自にやっているものもある。
有り体に言って、そのほとんどは無意味である。大抵の職場では書類に適当に数字を書いて誤魔化している。
例えば給食センターで、出勤時の温度を記録する必要があるか?異常に暑かったり寒かったりすれば人間なのだから気が付く。その時に業者を呼ぶなりの対応をすればいいし、当然するだろう。
チェック書類のほとんどは表面を取り繕うだけの、言い訳のためのものに過ぎない。そうして、それは全て現場の負担になる。
職場というものは、皆んなが機嫌よく、楽しく働いたほうが成果が出やすいだろう。
しかし、自分が上司であると仮定して欲しい。
もしも自分以外の職員たちが(そういうつもりは無くても)自分を除け者にして楽しそうにしていたらあなたは気分が良くはないだろう。
そうしたら、どうでもいい雑用を命じて雰囲気を壊すようなことをしたくならないか。少なくともそういう欲求は起きないか。
大抵の人はそうなるだろう。そういうものなのだろう。
これで冒頭の命題に戻ることになる。
本来、楽しくできることを破壊するのは人であり、ヒトを無意味に不幸にするのはヒトに他ならない。