時事その他についての考察

国家規模のイベントの経費が異常に上がるのは。

僕もボンクラだから2回目の東京オリンピックの時なんかには気づかなかったんすよ。

でも、もうすぐ開幕の、同じく2回目の大阪万博。証拠があるわけではないけれども、これなんか明らかに関係者が金儲けするためのものでしょう。(その後博打場になるって話もあるけど、それはよく知らないけど)

お金を儲けるためにやるってことは(つまり、建設とか宣伝その他で儲けようとするということは)予算はかけるだけかけたほうがいいということになりまさぁね。

だから、予算増の言い訳で言われる、原材料費屋人件費が当初の見通しを超えたから、などというのは嘘っぱちなんでしょうね。

企画を通すために低めの見積もりを出しているだけで、初めからそれでは間に合わないのは承知で、というよりも、初めから大幅に増額させるつもりなのでしょう。

皆さんは覚えておられるでしょうか。2回目の東京オリンピックの謳い文句は、コンパクトオリンピック、つまり、巨額になりすぎたオリンピック予算を常識の範囲内に収める、そして今後のオリンピックの開催の敷居を低くして、今後の存続にも貢献する、みたいなことだったことを。(やり手の外国人のプロ企画者に法外とも思える報酬を払って考えさせたんですよね。おそらく彼はその企画通りに運営されるかどうかなどということには全く関心は無かったでしょう)

たしかにコロナウィルスの蔓延という不確定要素はあった。あったけれども、異常なまでに高騰した開催費はそれだけで説明がつくことではない。なにしろコンパクトどころか競技場は広がり続けることになったのだから。

こんなことは本来大失態と言えることで、当然責任ある職についていた人たちは文字通りその責任をとらなくてはならなかった筈。

しかし、そういう話は聞かない。(報道されていないだけかもしれない)

仮に誰かが責任をとっていたとしても、それは初めから(本人の知らないところで)最終的に責任をとらされるが決まっていた人、に過ぎない。本当に責任を負わなければならない人たちは知らない顔をしている。

初めにも言ったけど、僕もボンクラだから、能登の地震が起きるまではそこまで考えなかった。

どうやら万博は失敗が確実になりそうになっているなかで、地震復興のために開催を諦める、諦められるってのは格好の口実になるだろう、などと間抜けなことを考えていたくらいだ。

止めるわけがないんですよね。やめたら貰えるものが貰えなくなっちゃうんだから。(ただ一つだけ、万博用の木材が能登の復興を阻害することはない、なんて言ってたのはその通りだったみたいですね。最近の報道で使われる木材は国産ではなくフィンランドから輸入していたものだということがわかったから。でもそれもね、いやぁ、実は木材はフィンランドから買ってんですよ。でもよかったらこれ、能登で使って下さい《万博用の木が能登の復興に使えるかどうかはっきりはわからないけど》とも言えたんですけど)

まぁ、悪徳を根絶するのは出来ないことだし、多分しようとしてはいけないことでもあるのでしょう。(それが行き過ぎると金儲けそのものを否定することになってしまうかもしれない)

でも、世の中には“程度”ってものがあるんですよ。

本当に、そんなことで儲けた金で喰う飯は美味いか?って話なんですけどね。