自公政権と立憲民主党が主張する緊縮財政と、国民民主党、れいわ、参政党が主張する積極財政は相容れないものに見える。
その根本的な違いは財政に関する考え方の違いに他ならない。
簡単に言うと、緊縮財政派はすべての財源は税で賄わなければならないと考えており、積極財政派はインフレーションが起こらない限り、それは国債を積極的に発行することで対処して全く問題がない、と考えている。
おそらく、現代の金融では積極財政派の主張が正しい。しかしそれは昔から正しかったわけではない。
それが実現するには貨幣の誕生からの長い歴史が必要であった。
今のところ積極財政派の戦略が失敗しているのはその歴史的背景からの説明をすることなく、ただ自分の主張の正しさを声高に訴えていることにあると考える。
人類の歴史上、ほとんどの期間で緊縮財政派の考えは正しいものであった。
「中央政権が財政政策を行うには税からなる財源がその唯一の資本であり、国債は例外的な事例である。過度に国債を発行してしまうとコントロールしきれないインフレーションが起こる懸念があるので、国債の発行は最小限度に留めるべきである」
実際に紙幣登場以前、貨幣が貴金属を加工したものにほぼ限られていた時代、中央政権がその財源不足から貨幣の貴金属の含有量を減らし、その結果インフレーションが起こり社会経済が混乱するという事例はあった。(私が知っているのは古代ローマ時代と日本の江戸時代だけだが、おそらく世界中に同じような例があるだろう)
また、紙幣発行以後の時代では、有名なワイマール共和国時代のドイツで起きたハイパーインフレ、また最近でもジンバブエで同様な事が起きたことがマスコミで(面白おかしく)報じられている。
だから緊縮派の主張には確からしさがあるのだけれど、これは裏を返せばインフレーションが起こらなければ通貨や国債はいくら発行しても問題ない、ということになる。
では、その限界はどこにあるのか?というのが新たな疑問になる。
そして、私の知る限り、それに明確に答えている人はいない。
財政積極派の人たちもまだまだ大丈夫だろう、と言っているに過ぎない。なにしろ、日本では既に安倍元首相と黒田前日銀総裁によって大規模な金融緩和は行われており、それでも目標インフレには達しなかったのだから、
また、彼らの一部は過度なインフレーションが起きてきたらその時に金融を引き締めればいい、と言っている。
それが正しいのかもしれない。
しかし、外野から批判する者と、実際に経済政策を決める者の間には大きな責任の違いがある。
現場責任者が慎重になるのは理解できる。
だからこそ、積極派の人たちには礼をつくした説明と説得が求められるのだが、彼らもまた強硬であり、自らの説の正しさのみを主張するのに急であり、政治力に欠ける。
(官僚には自分の出世と所属官庁の権益を守るという命題があるにせよ)共に願っているのは日本の繁栄であるはずだ。
それならば、協力してより良い政策を行える余地は充分あるはずなのだが。