正確には、してはいけない、のではなく、しても意味がない、ということになる。
あるバラエティ番組で、長友佑都の奥方である平愛梨さんが言っていた。
旦那とは喧嘩をしたことがないと。何故なら、まず長友佑都は良く話を聴いてくれる人で、また常に冷静で怒りの感情をあらわにすることがないからだと。
推察するに、長友佑都がそういう人であるのは彼が一流のスポーツ選手であるからだと思う。
どういうことかというと、スポーツの試合中に感情を乱されることがあったとして、例えば相手選手に汚い反則をされた、とか、味方の選手が凡ミスや、やる気のないプレーをされたとしても試合は続いている。
そこで感情を乱されて、自分のパフォーマンスの質が落ちたら、損をするのは自分なのだ。
また、そういうことでプライドの質が下がるような選手であれば、相手チームもそれを狙って汚いプレーを仕掛けるということもあるだろう。
そんな手口に嵌められるようでは、どんなにいいプレーができる選手でも一流にはなれない。
話を一般社会のことに移すが、パワーハラスメントというのは、(ただ単にパワハラをする側の憂さ晴らしとか、ストレス解消目的という初めから論外な事例を別にして)相手の仕事の質を上げるためにやるものだろう。
しかし、実際にはパワハラをしても中々そうはならない。かえって相手が萎縮したり、要らぬ反感を買ったりして質が悪くなってしまうことの方が多いだろう。
家庭内暴力にしても同じことだ。意味が無いのだ。(ただ、特に家庭内暴力に関しては自身のストレスのはけ口にしている人が多そうではあるが)
だから我々も長友佑都選手を見習って、常に冷静でありたいところだ。
しかし、ここからは少し怖い話になるのだが、冷静な人というのは同時に相手を観察している人でもある。
だから、見切りをつけられた時には簡単に関係を切られるということがある。
そういう人は、そういう時にも決して相手のことを悪くは言わない。
相手を褒めながら、しかしあっさりと切り捨てる。