時事その他についての考察

我々はジャニー喜多川の共犯者であることを自覚しなければならない

事は喜多川本人の問題、ジャニーズ事務所の問題、(おそらく圧力を受けて問題を不問にし続けた)テレビ局などの問題である。とほとんどの人は思っているだろう。

しかし、これは個人よりも集団の利益が優先されるべきだ、という日本人の根本的とも思える考えが露呈した出来事だ。

(あとで説明するが、必ずしもそれが悪いことだと言っているわけではない)

「浦安鉄筋家族」が23年振りに休載するらしい。

理由として、「家族旅行します。スンマセン」(文面は正確ではない)と作者から発表されているとのことである。

軽い口調ではあるが、一応謝らなければならない、ということが問題の根深さを表している。

週刊連載をしている漫画家の過酷な仕事振りは広く知られている。 

しかし、それに反対する声や運動は聴かない。漫画家たち本人の運動も聴かないし、読者その他、一般からの運動も聴かない。

勿論、卑劣な犯罪者である喜多川に関することと、過酷な労働環境とでは問題の重みは違う。

しかし、根本にあるものは共通している。

くり返しになってしまうが、個人より集団が優先されるべき、という刷り込みだ。

それゃ、そうなんだよね。そういう国民性でなければ軍事ファシスト国家なんて成立するはずがないのだから。

(一応。ファシストとは個人ではなく集団、この場合は国家、を優先すべきという政治思想、だと思う。正確に知りたい方はちゃんと調べて下さい)

話が飛ぶようだが、公約に反する増税をする岸田政権が倒れないのも、我々が「欲しがりません勝つまでは」と思っているからだろう。

話を喜多川のことに戻すと、喜多川本人やジャニーズ事務所がどうしようと、テレビ局がそれにどう対応しようと、問題が広く知られた時に、(今の話をしていないです。何十年か前、スクープがあった時の話であり、それ以前に噂があった時の話をしています)不買活動、ジャニーズのタレントの出ているテレビ番組は観ない、という活動がもしもあれば、その時にこれは裁かれていたはずなのだ。

(不買運動、ではなく、活動としたのは、これは特に連携して行われる必要はないからだ。個人個人がそんなイカれた事務所の出すレコード、CDは買わない、コンサートには行かない。テレビも観ない、ということをしていればジャニーズ事務所は終わっていたのだから) 

実際にはそんな事は起こらなかった。

何故か。それは、沢山の人を楽しませる娯楽を生み出している、という、公共の利益は、性被害という個人の損害よりも優先される、と多くの日本人が、無意識に感じていたからだ。

漫画雑誌の週刊連載が過酷だということは多くの人が知っている。

おそらく、一般の読者たちは、問題があると思うのならば作者たちが抗議すればいいのだろう、位に考えているのだろう。

そうではない。これは我々一般読者の問題でもあるのだ。

我々は漫画家を守らなければならない。何故なら、それができるのは読者だけだからだ。

喜多川の犯罪に知らない振りをいていた人たちと、週刊連載漫画家の過酷な仕事に無関心な人たちは、同じ事をしているのだ。

ここまでは人権を重んじた立場からの言葉だということになる。

しかし、僕個人も自分の主張通りのことがいつもできるわけではない。 ジャニーズ事務所は(嫉妬も含めて)嫌いだし、漫画雑誌は買わないけれど、例えばテレビ局のADの仕事が過酷と知っていながらテレビドラマは観ている。心に刷り込まれている集団主義と、それに感情的に反発したり、頭で考えたりする個人主義の狭間で右往左往していると言っていいだろう。

個人よりも集団が優先されるべき、という考えが全くの間違いと言えるわけではない。

身分制社会が間違っているわけではないのと同じことだ。 

どんな制度にもいい面と悪い面がある。

それは、各集団や国家が選ぶものだ。 

また一方で、人権主義や民主主義は金持ちにのみ許されたより優良な制度、主義だという思いもある。

それは言葉を換えると、人権主義、民主主義ができる位に金があるならば、それを採用すべき、という考えにもなる。

これは、まだよくわからない。別途、考え、書くべきことかもしれない。