時事その他についての考察

単純米中対立ではない危機

端的に言うと、一部の民主主義国家の崩壊があり得る。

その話の前に、米中対立に関して言うと、国の仕組みとして、両国ともに指導者に大きな権力が集まっている。

この仕組みでは、基本的にトップ同士の駆け引きで物事が決まるということになる。 

つまり、指導者の暴走がなければ、冷静に、論理的に物事が決められやすい、ということだ。

比較的、世論、協力者や政敵などから距離を置けるシステムであり、そうなるとわざわざ破壊的な決断をする必要がない。

このことは、おおよそ50年近く続いた冷戦の間に第三次世界大戦が起きなかったことが(ある程度)証明していると言っていいだろう。

しかしこの構図は、各陣営のトップが、それに従う国々をちゃんと掌握していることも前提となる。

言うことを聞かない国々があった場合、酷い時には常に相手陣営に寝返る可能性を見せつけるような国々があるようではリーダー国のトップの裁量権が狭まる。

それは、それだけ衝突の危険が高まることになろう。

そうして、それこそが今の本当の危機なのではないか。

世界の指導者を見渡してみると、どつしても強権国家の指導者に力があるように見えてしまう。

具体的には、ロシアのプーチン、中国の習近平、トルコのエルドアン、インドのモディなどだ。(トルコとインドは一応、民主主義国家ということになっているが、大統領制をとっていることもあり、強権国家と変わらない程に権力がトップに集中しているように見える)

対する民主主義国家の指導者たちはいかにも小粒である。 

勿論、実際には有能な人たちなのかもしれない。 

しかし、民主主義というのは、ある意味では、決断に手数をかけさせることで極端に愚かな政策が行われるのを防ぐことを選んだ制度だと言える。

すなわち、指導者だけでなく、全体の能力が高くなければ機能しなくなる制度でもある。そうして勿論、全体が有能などというのはあまり期待できない。

民主主義が機能不全に陥る理由だ。

そのことは、民主主義国家の指導者になることが魅力的に見えない理由にもなる。

例えば日本国の総理大臣。冷静に損得でその仕事を考えた時、これをやりたがる人がいるだろうか。 

いい仕事をしても評価されないが、少しでも失敗すると滅茶苦茶に言われる、悪口は言われ放題、言い返すこともままならない、仕事の重要性に対して報酬が少なすぎる、責任の重さで寿命は確実に縮まる、一年やれば、五年分位老ける。

総理に限らず、国会議員も割に合うとは言えない。

それでも議員を目指す人というのは、余程、志が高いか、敷かれたレールを外さなければ安泰な世襲議員くらいだろう。普通に有能な人は一般企業で頑張るか、起業するだろう。

そうすると、現在、民主主義国家と言える国が何らかの形の強権主義国家に変節する可能性が高くなる。

正に第二次世界大戦前に、日本、ドイツ、イタリアで起きたことの再来だ。

今回は日本やドイツは民主主義国家として留まるかもしれない。また同じことが起きるかもしれない。

しかし、新興と言われる国々は常に強権国家側につく可能性が高い。

もしも、人類の持っている武器が未だにせいぜい大砲止まりであったなら、確実に近々大規模な戦争が起きるだろう。

人類が、人類そのものを滅ぼす兵器を持つ今、そのことが抑止になって、衝突を回避できるのかどうかは誰にもわからない。