名高い「ライ麦畑」のなかで解釈が分かれ読者が戸惑い悩むのがアントリーニ先生の描写であり、人物像であろう。
我々読者から見ても有意義な助言をしているようにみえるアントリーニ先生。ホールデンが見た気高い行動やホールデンとの会話や助言だけ見ると素晴らしい人物であるとしか言えない。
しかし、彼は同時に30歳か40歳くらい年の離れたお金持ちの女性と結婚した者であり、しかも寝室も別でありそもそも同じ空間にいることが滅多にないと描写される。
更に酒が手放せない性質であり、決定的なことにはホールデンに同性愛を仕掛ける(少なくともホールデンにそれを感じさせた)行為をしてしまう。
結論から言うと、サリンジャーはアントリーニ先生のいうような価値観にも正当性があることを認めながらも、それを全面的に受け入れることができなかったのではないだろうかということだ。
もしも先生が一般的な結婚をし、深酒もせず、夜中にホールデンの頭を撫でたりしない人であればそれは理想的な人物像である。そうなるとその人の言うことの正当性も受け入れざるを得ないだろう。
先生の危惧したホールデンの陥りそうな不幸の一つに、倫理的なことはあまり考えずに人生を上手く楽しく生きているような人たちを憎悪する、というものがある。
これは、実際は危惧するまでもなく、既にホールデンがはまっている状態であり、問題があるとするならばそこからいかに抜け出すか、抜け出せるかということだ。
また、サリンジャー自身も実生活において正しくこの罠にはまることになる。亡くなるまで他人を寄せ付けない生活を送ることになるのだから。
ホールデンは先生との会話のなかで、自分に対する助言が始まった途端に強烈な眠気に襲われている。そうして、話に集中しなければ、と思うと同時に、集中する気になれない、とも言っている。
つまり、ホールデンもまたサリンジャーと同じく先生の助言を聴くことを心の底で拒否しているのだ。
先生の言うことは正しいのかもしれないが、ホールデンやサリンジャーやもしかしたら我々の陥っている状態はそんな気の利いた助言一つでなんとかなるようなものではなかったのだ。
《もしかしたら読者の一部には先生の助言が効いて、一般的に幸せだと言われる人生に向かえた人たちもいるのかもしれない。それはそれで良いことだと思う》
しかしながら同時に先生はとても気高く聡明な人物としても描かれている。
また、ホールデンは先生から貰った警句の書かれた紙片を、この物語が語られている時にもまだ持ってもいる。
つまり、サリンジャーもホールデンも先生を否定するまではできないということなのだろう。
それにしては同性愛的な描写はやりすぎだろう、とも思われる。これは、サリンジャーは、実は、アントリーニ先生のことが、彼に体現させた思想のことが嫌いだったからではないだろうか。
良い悪いで言えば悪いと言い切るまではできなかったのだろうが、単純に本当は嫌いだったのではなかろうか。もしかしたらどこかで本当のいんちきは彼らなのだとまで思っていたのかもしれない。
また、ホールデンがそうしたように、彼らのような者たちからは逃げ出すべきだということを、そうと意識していたかはわからないが、言いたかったのかもしれない。
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