明治政府の企画した天皇の神格化は、欧米の強力な一神教に対抗するために急ぎ作られたと言われる。
それは意外(といっていいだろう)な成功を収めるわけだが、問題はそれが何故成功したのかということだ。
それは日本にはその論理に対抗できる強い宗教が既になかったからだろう。(当然、歴史ある天皇制を自由に使えたということが何よりの成功要因でもある)
そうして、結果として日本史上最大の新興宗教、カルト(言葉の意味ではカルトというのは変だが)宗教が生まれた。
そのことの是非はここでは問わない。
問題は、天皇教とでもいう、その仕組みが敗戦によって壊されたことだ。
そこに大きな宗教上の空白が生まれたのだ。
そこには宗教の、いわば巨大な草刈り場が誕生来たことになる。
仏教やキリスト教なども頑張ったのだろうが彼らだけで全部をこなしきれるものではない。
そこに新興宗教が生まれ、成長する余地があった。
付記:今、取り沙汰されている政権内部と旧統一教会の関係の本当のことは良くわからない。普通に考えれば、献金や集票のために関係を深めたと見える。それが政権側が利用するつもりだったのがどちらかというと利用される側になってしまったのか、その辺りのことはよくわからない。ほとんどの、情報を発信する者たちは個人的偏見を通しての発信しかしないのでそれを見極めるのはとても難しい。ただ、上で述べた宗教上の空白は政権内部にもあったことだ。その結果、宗教に対しての心構えが不足していたのではないか、という推測は成立つだろう。