時事その他についての考察

ジョン·レノンの重要曲、「I call your name」

レノンによると「I call your name」は元々彼が15、16才頃に書いた、初めての作曲であるらしい。

後年、それに手を入れて完成させたのだという。

当初は他のミュージシャンに提供され、(1963年)その後ビートルズ版も発表された。(1964年)

歌詞がとても大切な曲なのでまずは歌詞を紹介する。一応、下手で不完全な訳も付け足すが、是非それは参考だけにして原文を読んで欲しい。

I call your name but your not there

僕はあなたを呼ぶ、でもそこにあなたはいない

Was I to blame for being unfair

僕がいけなかったのだろうか、悪いことをしたのだろうか

Oh I can’t sleep at night

夜、寝られない

Since you’ve been gone

あなたが行ってしまってから

I never weep at night

決して夜泣いたりしない

I can’t go on

進むことなどできない

Don’t you know I can’t take it

僕にはとても受け入れられないってわからなかったの?

I don’t know who can

誰にできるっていうの?

I’m not going to make it

僕はそれでやっていこうとはしない

I’m not that kind of man

そういうタイプじゃないんだ

Oh I can’t sleep at night

ああ、夜眠れない

But just the same

でも何も変わらない

I never weep at night

決して夜は泣かない

I call your name

あなたの名を呼ぶ

レノンの伝記で初めに強調されるのは、彼は幼い頃に父母と別れ、伯母に育てられたということだ。(また、一時期父、または母と―別々の時に―暮らしたこともあったらしい)

つまり、これは母にあてた心の叫びだということになる。

そういう歌を初めての作曲で、15,6才の時に書いたということは、レノンの作曲の動機はそこにあり、それはその後のすべての歌にも言えることなのだろう。

「ツイスト·アンド·シャウト」も「ユー·キャント·ドゥ·ザット」もそうだったのだ。

彼はビートルズが解散してからの初めてのアルバムで全く同じテーマの「 Mother」という曲を発表している。レノンの最重要曲である。

そこでは、マザーと名指しで呼ぶことができた。

曲調も非常に重く、心の痛みをストレートに表現したものになっている。

まだ15,6の頃にはそれはできなかったのだろう。

直接、母と表現するのは余りにも辛かったのだろう。

曲調も哀愁を帯びながらも威勢がいいものになっている。(はっきり言うととてもかっこいい)

結局「Mother」を作るまでのレノンの作曲生活は「Mother」を作るためにあったのだろう。

はっきり言うと、それ以降はそれまでに比べるとお遊びみたいなものだったのだろう。

レノンの喪失感が、その喪失を埋めようとした強い思いが、あの我々の心に訴える唯一無二のヴォーカルを生んだのだろう。

でも、ビートルズとしてどんなに大きな成功を収めてもその喪失感を埋めることはできなかった。

ビートルズの活動の中期以降、「I’m only sleeping」や「I’m so tired」といった徒労感を感じされる曲や「ヤーブルース」という絶望を歌った曲がでてくるのはそのためだったのだろう。

その喪失感はオノヨーコと出会って初めての埋める事ができたのだろう。

そこで初めて直接的な「Mother」を作ることのできる、心の余裕が生まれたのだろう。

だから、ビートルズ時代のレノンの活動の絶頂期は喪失を埋めようと必死だった巨大な成功を収めるまでの初期の活動期間であり、ビートルズ解散後の彼のベストは、「Mother」が収録された、ソロ第一作である(ロックミュージックの最も重要なアルバムとも言える)「ジョンの魂」だったのだろう。

《なんで今頃こんな話を、と言われるだろうが、たまたま久し振りにこの曲を聴いて初めて気がついたので》

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