無辜な争いで人命が失われるのを嘆くならばスーダンと南スーダンの戦争など、アフリカ諸国での争いなどに対しても同じような反応をするはずだ。
国家権力による人権を無視した迫害を非難するならばウイグル自治区での迫害やパレスチナでの争い、香港やミャンマーの現状にも強く反発するだろう。
しかし、我々は、それらには、ウクライナでの現実に対してほどには反応していない。
その理由は簡単で、それらは我々の生活にはほとんど影響しないだろうと考えているからだ。
それに対して、ウクライナとロシアの戦争は、世界戦争に発展する可能性もあるし、そうでなくても、経済的にも、安全保障の分野でも、我々と関わることが多いから我々は強く反応しているのである。
人間というのはそういうもので、それを隠す必要はないし、恥じることもない。
しかし、そういう事実を知らない振りして、自らは善人であり、今時の争いに対する自分の反応は人道的であり、正しいものだ、と考えているならば、それは恥ずべきものだといわなければならない。