時事その他についての考察

ほぼ全ての人が物事を自分の都合のいいように組み立てて他人に伝える

ある経済の入門書を読んでいると、2015年の中国による人民元の2%の切り下げに対してアメリカが抗議したことについて言及していた。

中国からの輸出品がより安くなるのに対して抗議するというのは、資本主義の歴史においては稀なことだ、というのだ。

著者も当然わかっていて書いていることだろうが、アメリカが抗議をしたのは、海外から不当に安い製品が輸入されると、自国の製品が売れなくなる、つまりは自国の産業に不利になるからだ。

これは常識的なことなので私にも看破することが出来たが、もっと専門的なことで同じように嘘をつかれたら私にはわかるまい。

世界は人知を越えて複雑、または単純である。そのなかで何かを理解しようとすると、その中から、自分の考えに合う部分だけを抜き出さざるを得ない。

それは、カールマルクスだろうが、ジョンメイナードケインズだろうが、フリードリッヒニーチェだろうが同じだ。

検察や警察は、それぞれの事件に対してストーリーを作る。被疑者などはそれに当てはめていく。そういうものだ。

たまたま今テレビでやっていたが、太平洋戦争の遠因の一つとされる海軍軍縮条約、各国で軍艦の保有率を決めた例のやつだが、ここでアメリカ、イギリスに対して低く設定された日本の保有率に言及していた。

それだけ聞くと、この条約はその三カ国だけで締結されたように聞こえる。その中で日本だけ差別されたようにも思われてしまうかもしれない。

ところがこれには続きがあって、イタリアとあと何処だったかの国は日本より更に低く保有率が設定されているのだ。

その情報があるとないでは我々の認識も変わるだろう。しかし、この条約が取り上げられる時、イタリアなどにも触れられることはほとんどない。

いずれにしろ、ほとんどの人が自分の話に都合のいい部分だけを取り出して語るのだが、わざと自分の都合がいい、利益になるストーリーを作っているか、真実を追及した結果、力及ばず結果的にそうなっていまうかの違いはある。

《他に冒頭で引用した場合も実はそう見えるのだが、話を面白くするためということもある》

我々がそれを見抜くには知恵と知識を蓄えることが必要だ。

感心するような話を聞いても簡単には信用しないこと。直ぐには納得できない話であっても頭から否定するようなことはしない柔軟性も大切になる。

人というものは安定を求めるものだが、安定してしまったら成長は止まる。止まってもいいけれど、止まってしまった自分の状態を人に押し付けてはいけない。

成長を止めてしまった者はその分、より謙虚にならなければいけないのだが、これは往々にして逆になってしまう。すなわち、成長し続ける者は謙虚であり、それを止めてしまった者は傲慢になりやすい。

世の中というものは矛盾に満ちている。

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