主な登場人物の多くは比較的軽い被害を受けた被災者だ。つまりは我々視聴者と近い人たちだ。
彼らは自分の受けた被害ではなく、直接的に大きな被害を受けた人たちのことで悩み苦しむ。
ドラマの中でそれを描くことが可能だったのはそういう大きな被害を受けた人たちを直接知っている、近しい人たちであったということにもよる。
しかし制作者たちはそういう設定を通じて、世の中の大多数を占める人たち、被害らしい被害は受けておらず、また、被害を受けた人たちと直接的な関わりを持っていない人たち、すなわち我々視聴者にその主題を突き付けていたのではないか。
私や、あなた方は何らかの形で傷付けられた人たちに何をしてきたのか、何が出来るのか、どうしたらいいのか、ということを。
形の上で、これは自然災害を扱っているが、おそらく、作者は自然災害に止まらず、何らかの形で傷付けられた全ての人たちに対する我々の態度や覚悟を迫っているのだと思う。
私や、あなた方は何らかの形で傷付けられた人たちに何をしてきたのか、何が出来るのか、どうしたらいいのか、ということを。
そうして、これは脚本を担当された方の、他の作品にも繋がる主題なのだと思う。
私が少しなりとも観たことがあるのは「きのう何食べた?」だけだが、食べ物の描写や喜劇色のある描写で、楽しんで観られるようになっているが、中年の同棲しているゲイカップルの話に偏見や差別の問題が無いわけはない。
「透明なゆりかご」というドラマは見習い助産師を主人公とする話らしい。これも「性別」の中で、妊娠、出産という大変な役割を負っている女性という性の根源的な悲劇性を扱っているドラマなのだと推察される。
作品を酷評する人が多いのも理解できる。世の中の大多数の人たちはそんなことは考えたくもないのだから。今までもそんなことから目を逸らして生きてきたし、これからもそうするつもりなのだろうから。
よりにもよって、朝ドラでそんなことを言われても迷惑なだけであろう。
しかしながら、改めて、そんな朝ドラでこの様なドラマを作った人たちには驚かざるを得ない。