時事その他についての考察

SNS上の無責任な言動の雛型は学生運動にある

匿名であることを良しとして、自らの言動に責任を持たないことは人間の基本的な性質に由来することなのだろう。

人類誕生以来、その性質が目立たなかったのは、匿名ということがあまり起こり得なかったからに過ぎない。

今それがあらわになってしまっているのは我々がSNSという手段を持ったことによる。

ところで、SNS以前に同じことはなかっただろうか。

社会的に大きな影響があった事柄で似たことはあった。学生運動である。

学生運動でもリーダー格の人たちは有名人であって、匿名どころではなかった。また、名は知られてはいなくても、その後も過激派と言われる存在になって活動を続けた人たちもいる。そこまでいかなくても、例えば地方に引っ込んで自営の仕事をするなど、その人の持つ能力から考えると充分とは言えない生活を選んだ人たちもいる。

しかし、大多数の人たちは何事もなかったような風をして一般の社会人になっていった。

SNSによる攻撃で誹謗中傷を受けた人たちは傷つき、ひどい時には死を選んでしまった人もいる。

学生運動では学生の被害が多く言われる。

しかし、機動隊とぶつかったりしたのだから隊員のなかや、また、街中で運動していたのだから周りの関係のない人たちにも被害があったはずだ。

SNSによるものも、学生運動によるものも、それが言葉によるものと、実際の暴力によるものの違いはあるが、無知で無責任な人々の暴力によって他人が被害を受けたということでは同じだ。

その加害者の多くが匿名であることを利用して罪を逃れていることでも同じだ。

学生運動を経験した人たちも、とうに善良な社会人となって、おそらくSNSによる誹謗中傷には反対しているだろう。

しかしそれらを他人事として批判するのであれば、彼らにはその資格はないのだ。

ちょっと信じられないくらいだ。学生運動経験者の大多数は一般の社会人になっているだろうし、その場合には世間に自らの考えを公表する方法はないので仕方がない。しかし、マスコミで活躍している人たちも沢山いる。

彼らからの、学生運動に対する反省の言葉を聞いたことがない。何故、知らぬ顔をしていられるのか。一人として得意の自己批判をする人がいなかったのはどういうことなのか。世代全体がそこまで無神経でいられるのは何故なのか。(勿論、前述のとおり、その業を背負っている人たちも多くいるが)

※私には学生運動そのものを全部否定する資格はない。もしも当時学生であったなら、それに関わっていたか、少なくとも賛成はしていたに違いないのだから。ここで問題にしているのはその後のことである。

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