何に驚いたかというと、総裁選のときには「成長の前に分配」と言っていたのに、いつの間にか「成長してから分配」という今までと何も変わらない主張に変わっていることだ。(私の理解が間違っていなければ)
何が彼をそうさせたのかはわからないが、話にならないことは確かだ。
一年、もつかな。(21:00記)
公約をしたことでも実際に政権をとって、現実と向きあったときに挫折するというのは良くあることだし、理解もできる。
しかし岸田氏のようにほとんど初めてもいないうちから完全に主張を変えた例がほかにあっただろうか。私は政治に詳しくないのでわからないが、かなり珍しく、恥ずかしい先例になってしまったのではないか。
ここにきて私には岸田氏が何をしたいのか、何で総理大臣になりたかったのか全くわからなくなった。
いや、本当のことをいうと、岸田さんはどうでもいいといえば、どうでもいいのだ。困るのは、岸田さんが無残に失敗したとき、次に高市氏が出てくる恐れがあることだ。
いや、有能な方なのだろう。また、人物としても魅力があるのだろう。
しかし高市氏の人気の根源にあるものは何かというと、それは対外的に強気の姿勢に他ならない。
どうもどの国でも国民というものは、周りの国から不当な圧力を受けていると感じるものらしい。
日本に対する韓国や中国の態度をみるとつくづくそう思う。そうして、勿論それは日本にもあてはまることだ。
多くの日本人は、日本は諸外国(基本的に中韓)から言われっ放しだと感じていると思われる。だから高市氏のような強気の発言をする人は常に一定数の支持者がいる。
我々はもう忘れてしまったのだな、かつて太平洋戦争前、欧米と協調する外交を目指し、今では高い評価を受けているいわいる幣原外交は当時は軟弱外交と叩かれていたことを。幣原外交が崩壊してから戦争に向かっていくことになってしまったことを。
知らないのだ、かつて名外交官と言われた人が、後輩から外交の要諦を訪ねられたとき、「こちらは49%をとって、相手に51%を渡すことだ」と答えたことを。(その真意を完全に理解してるとは言えないが、相手にすこしばかり譲ることで恩を売って感謝を買うということだろう。それで両者の関係は良くなるし、何か特別なことが起きたときに助けてもらうことができるということなのではないだろうか)
私には既にレールは敷かれているように見える。もし高市氏が総理にならなかったとしても、次が現れることだろう。そうして又、悲劇がくり返されるのだろう。
しかしながら、一度目は悲劇かもしれないが、二度目は愚かな喜劇でしかない。(22:30記)