談志か、志ん朝か、などというのは意味のない、浅墓な議論であることはあるのですが、やはり、ひとこと言いたくなる話題であることは確かです。
昨今はスマートフォンで当時の映像を観ることができますので、スマートフォン初心者としては勇んで二人の落語をいくつか観たのです。その結果、少し、考えこむことになってしまいました。
理屈で考えれば自然なことではあるのです。しかし現実には受け止めたくない。志ん朝さんの落語が今の感覚からいうと、少し、昔の芸になってしまっているといわざるを得ないような感じになってしまっている気がするのです。
勿論、ぼくには充分に面白いし楽しめます。それは生涯変わらないと思います。昔からのファンは皆そうでしょう。しかし、以前のように、若い奴等に自信をもって薦めることはもう出来ない、といわざるを得ません。
「何?落語知らないの?困ったもんだねぇ。いっとくけれど、日本で文化的に、凄い、といわれる奴等は大体、落語好きだからね。まあ、落語と、次に相撲だね。落語を二十席も聴けば、世の中の知恵はおおかた腹に収まるってなもんだよ。しかも笑いながらそれができるってんだから、お前さんの前だけれどねぇ、大したもんだと思わねぇか?なんだって?なにを聴いたらいいかわからない?だから古今亭志ん朝を聴いてればいいんだよ。まちげぇ無いんだから」
ということが言えなくなってしまう。
当たり前なのですけどね。ぼくにとって桂文楽や、三遊亭円生は、話芸の素晴らしさはわかりますが、前置きや前提なしに笑えるものではありませんでしたから。それでも、なんとなく、志ん朝さんはずーーーと、世代を問わず、聴く気のある者にとっては現役のものとして存在し続けるものだと思い込んでいたところがあったのです。
かたや立川談志です。亡くなった年代が違いますので、それも考えなくてはならないのですか、談志さんの方が、現役色が強く、また、さらに時が経っても風化しにくいような気がします。ただこれは、どっちが凄かった、という話では全くなくて、芸風の違い、ということなのですが。
乱暴な例えかもしれませんが、立川談志は古今亭志ん生に、古今亭志ん朝は桂文楽に近かったのかもしれません。さらに生意気な分析をするならば、談志、志ん生は人間そのものを描こうとして、だから時代に影響を受けにくい。志ん朝、文楽は落語をより、エンターテイメントとして演じていたので人物は前者よりフィクションの色が強くなる。そのフィクションはあくまでも彼らの時代にあったものなので、時代が変わると、おのずから古くならざるをえない、ということかもしれません。
別の言い方をすると、型ということかもしれません。ただこれは素人が判断するのはなかなか難しいです。談志、志ん生も一見、自由にやっているように見えますが、計算が無いわけがありません。はちゃめちゃに聴こえる談志さんも、いつでも型に戻れるという前提があるからこそ、型を壊せるわけです。
文楽、志ん朝もきっちり、型にはまっているように見えて、おそらく、その場その場で、間やスピードなど、微妙にまた、自在に変えていたでしょう。いや、知りませんが、やらない筈もないです。
さらにいうと、談志、志ん朝にとっては、なんといっても、古今亭志ん生という存在は特別なわけです。志ん朝さんは、少なくとも外見は志ん生とは真逆の方向にいかないわけにはいきません。同じ様だとずっと比べられ続けることになりますから。(念のため。志ん朝さんは志ん生さんの次男です)対して談志さんは他人なので憧れをそのまま追求できました。談志さんが生涯かけてやってきたことは志ん生落語を説明し続けたことかもしれません。
説明がおかしければ、後継者です。志ん生という人はどうも、革命児であり、異端児であったらしいです。筋や内容を自分が思うように大きく変えることが多々あったらしい。ですので、落語界や保守的なファンからは疎んじがられていたという話もあります。私たちはあの、飄々とした語り口に乗っかってふわふわ、いい気持ちになってしまいますけれども、いやいや、実際は、硬派の中の硬派だったのでは?つまり、やっていたことは、立川談志だったということです。勿論、これは、順番が逆で、談志さんが、志ん生さん の革命を引き継いだのです。
この辺りのことを二人はどう思っていたのか?談志さんは志ん朝さんが志ん生の息子であり、まだ残っていたであろう江戸の雰囲気の中で生まれ、育ってきたこと、完璧な江戸弁を自在に使えることが、羨ましく仕方なかったろうし、志ん朝さんは志ん朝さんで、談志さんがなんのてらいもなく志ん生落語を追求できることに羨望していたのではないでしょうか。そうして、自分ならばもっと上手くやれる、位のことは考えていてもおかしくありません。
今後、落語を紹介するのに、誰を薦めたらいいのでしょう。一之輔さんかなぁ。何年か前にNHKの新人演芸大賞で大賞をとった地味なひと、よかったんですけど、今、どうされているでしょうか。(ああ、もう、本題は終わってます。この辺は独りごとみたいなもんです)その演者大賞で、他の演者は皆、自分の芸をこれみよがしに、どうでぃ!とばかりに、うまさをみせつけようとしていた中で、上手さを全て、落語を自然に聴かせるためだけに使っているという、余計な尖りがない、素晴らしい演者だったのですが、ご活躍されているでしょうか。