時事その他についての考察

マスク着用を巡ってドイツで最悪ともいえることが起きてしまった。

簡潔に言うと、マスクの着用を求めた定員を客が射殺したという事件である。(詳しいことはしかるべきニュースにあたってください)

コロナを巡るドイツの状況はわからないが、大まかにいって日本と同じ感じなのだろう。(これも詳しいところはわからない。ドイツでは屋外ではマスクはしなくてもいい、という話も聞いたことがある)

日本ではここまでの事件は起きてはいない。しかし無用な争いは起きてしまっている。また、いつさらに悲惨かつ無意味なことが起きてしまうとも限らない。

何故、こういう無意味かつ悲惨なことが起きてしまうのか。その一端は政府主体で行われているコロナ対策の実効性が不明だということにある。

しかし、実効性がわからなくても我々を納得させ、無用な争いを防ぐことはできるはずだ。

政府がその持っている情報を隠さずに公開し、限られた情報からどういう考えで決まり事を決めているのか、現在コロナの詳しい性質を知るためにどのような研究がなされているのか、などなど全て明らかにするべきなのである。

端的に言うと、意思決定のシステムに国民を巻き込むべきなのだ。

そもそも民主主義が優れている点はそこにあるはずである。自分たちで決めたことだから積極的にそれに従う、というのが民主主義の要点である。

共同体の決定事項にその構成員を従わせるには色々な方法がある。

宗教の権威を使うものもある。暴力や恐怖で無理矢理従わせる方法もある。しかし今のところ“自分たちで決めたことなのでその通りにする”という民主主義のやり方が一番その構成員の潜在力を引き出す方法だと思われる。

しかし自分たちで決めているという実感がなければその効力も薄れてしまう。

そうさせないためには政府は積極的に情報を公開するべきなのだ。

マスクに関して言えば、“どの程度効果があるのかがはっきりとわかっているわけではないが、効果があることだけは確実なので当面は皆で着用しよう。当然、場面場面でそれが効果的な場合と余り意味のない場合があるだろうが、それは追って調査した上で順次訂正していこう”

といった合意をなるべく多くの人たちからとるべきだったのだ。それをしていれば意味の無い争い事は起こさなくて済むのである。

しかし実際にはとにかく四六時中マスクをつけろ、家の中でもつけろ、という、それはそれが守られれば効果はあるだろうが、ほとんどの行為は無意味に終わってしまうこと(実際にコロナウィルスに感染していなければそれらは全くの無意味である)を強要するのみである。

こんなことをくり返していれば日本でも酷いことが起きてしまう可能性はどんどん大きくなってしまう。

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