社会的に弱者は助けなければいけないという考え方がある。それに反対する考えも根強くある。
これは反対する側が間違っている。但し、その理由は一般的に思われているような、倫理に基づいたものではない。
その一つの理由は以前述べたことがある。共同体守るためにはその共同体は自分や自分に近しい人たちを守ってくれる存在であることを見せなければいけないからというものである。そうでなければ我々は共同体に奉仕することをやめてしまうだろう。
これは主に身体的に生活が難しい人たち、すなわち老人や障害者を想定した話である。
世の中にはその他に精神的な理由で生活が困難になってしまっている人たちがいる。いわいる引きこもりなどだ。
国家などの共同体がこれらの人たちを助けることについてはそれが身体的な理由であることに比べて反対する意見が強いことだろう。
しかしそこにはそうしなければならない理由があるのだ。
今、引きこもっている人たちが比較的少ないからといって、これからも少ないままでいるかどうかはわからない。
彼らの抱えている問題は他の者たちも抱えている問題でもある。彼らはただ、一般的な標準に比べてそれに耐える力が弱かっただけだ。
《その弱さは感受性の強さであり、見方によっては長所ともなりうるということはある》
今ある問題をそのままにしてしまったら倒れてしまう人が増え続けるのだ。
つまり精神的に弱いと見られがちな人は今後深刻になるであろう問題を早いめに教えてくれる有難い存在であるのだ。
この例に限らず、基本は原因を善悪ではなく損得で考えなければいけないということだ。何故なら本当の原因はそこにあるからである。