時事その他についての考察

コロナや東京オリンピックへの対応に見る行政の昔ながらの方策は是か非か

東京オリンピックにおいて一都三県での開催が無観客になるらしい。

東京都での緊急事態宣言発令と三県での蔓延防止措置延長に対応してのことだという。

どう決着をつけるのかが取りざたされていたが一応、筋は通った結論であるとは思う。

何か引っかかった書き方をしているのはある程度は出来レースだろうと思われるからだ。

公式には観客をどうするのかは何も決定はしていないといってはいたが、当然感染の状況に応じた様々な可能性を考えていたはずであり、その進捗具合を小出しにした上での最終結論なのだろう。

はっきりと言うと、行政としてはしばらく前から大方無観客にすることになるだろうと予測していただろうということだ。

チケットを巡ってやきもきしていた人がいるならば、その人たちはいわいる良い面の皮だったということになる。

《念のために申しますがこの文章は全くの憶測であり、根拠、証拠はありません。また私は官僚や公務員とは一切の関わりもなく、その他参考にするべき情報源などもありません》

何故そのようなことをするのかという理由には大きく分けて二つあると思われる。

一つは社会に対する影響をなるべく少なく抑えるためであり、もう一つは自分たちの保身である。

観客をどうするのかということに対する自分たちの中での基準をはじめから公表してしまうとマスコミなどで騒ぎが無駄に大きくなると考えたのだろう。

こういう、情報を小出しにして衝撃を抑えつつ世間の反応を探りながら意思決定もしていくというのは(特に民主主義国家では)よくある方法であろう。

また、色々な媒体から時間をおいて小出しに情報を出せば責任の所在が曖昧になるという効果もある。

昔のコメディにあった、導火線に火のついた爆弾を投げ合っている場面に似ている。

《今回、最後に爆弾を受け取ってしまったのは丸川、橋本両大臣ということになろうか。ご苦労なことである》

しかし当然、ご本人たちは仕事を、それも良い仕事をしているつもりなのであり、私としても当然、相も変わらずしょうもないことをしていると思うのだ。

とは言うものの、彼らのやり方が完全に間違っているというわけでは勿論ない。

いままではそれである程度の効果を上げて来たのだろうし、そのやり方はこれからも有効だと判断するのも仕方のないことかもしれない。

それに保身が加わるのだから組織文化が変わらないのもよくわかる。

しかしこれからも同じ方法論が通用するのだろうか。

世界に国が日本しかないのであればそれでもいいだろう。時々いる私のようなはねっ返りも適当にあしらっていればそれでいい。

しかし国家間での競争では国民の知識レベル、政治に対する感性などが高い国が優位になるだろう。

それらを高くすることに成功した国が繁栄に近づくことになるだろう。

国民を無知蒙昧のままに止めておくことが国家目標になっている国は衰退することになるだろう。

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