ワクチン接種促進は政府の手柄ではない。
官僚や医療関係者など、現場が仕事をしているからに他ならない。
しかし政権が目論んでいるようにコロナが収まって経済も回復する兆しがみえたら全てが政権の手柄であるかのような顔をして、内閣支持率も回復するのだろう。
ところで今回の主題は世論の動向にあるので政権の目論見が実現するのかどうかは問題とはしない。
仮にその通りになったとする。
本来内閣支持率というものはその内閣の政策、理念、目標または能力などを判断の基準とするべきものである。またはそれまでは適切と思われていた政策が現実と合わなくなってきたという理由で変わってもいい。
しかし現実には失言やスキャンダルなどの比較的些細なこと、内閣本来の役割とは関係のないところで大きく変わってしまう。
しかもそれは大マスコミが報道するかどうか、その報道でどれくらい非難されているのかどうかで決まってしまう。
さらにスキャンダルなどは例え解決されなくとも何となく忘れ去られてしまえば支持率も元通り、という印象が強い。
《ここは難しいところだがマスコミが自由に世論を操っているという話ではない。マスコミも世論の動きをみながら姿勢を変えているはず。互いに影響しあっている関係だろう》
これは実に間の抜けた話ではある。でも案外、それでいいのかもしれない。
民主主義国家において選挙以外に民意をはかれるものは余りない。支持率というのはそのなかで民意をはかるために発明されたものだろう。
政権が暴走しないためにも例え的外れなものであっても民意を意識されることは大切なことである。
取り合えず問題がなくなったように見えると内閣支持率は回復する。
物事がそれなりに上手くいっていれば現状をあまりいじくらないことが求められるのであるからそれはそれで妥当なのかもしれない。
解決していない問題をずっと追い続けるのは信念がある立派な行いと思われるがちである。
それを否定するつもりはないが、『忘れる』というのも大切な能力だということだろう。
《かくいう私はマスコミの報道一つで上下する内閣支持率を見ていつも呆れている側ではあるのだが。そういう自分を批判する意味でもそう思う》
オリンピック開催を進めている一つの理由も日本選手が活躍してバンバンメダルでもとれば国中が盛り上がって、開催させた菅も偉い、ということになるというのもあるだろう。
菅首相の思惑通りになるのはいくらかは業腹ではあるが、それが一番いい結末ではあるだろう。