「ホンダジェット」(前間孝則著 新潮文庫 元の単行本は2015年刊行)から引用する。
『軍用機生産の比重が大きいロッキードは、当時の大型ジェット旅客機市場に参入しようと、これまた巨額を投入して開発したクライスラーが思うように売れず、強引な売り込みを展開したあげく、各国で「ロッキード事件」を起こした。そして事実上倒産し、以後、ジェット旅客機市場から手を引いたのである。』
《上は航空機産業の厳しさを、開発費が巨額なのにそれが報われる可能性は消して高いわけではないこと、また、その浮沈は世界情勢など、自分ではコントロールできない要因に大きく依ってしまいそれは会社そのものの存続に関わることも多々ある、という実態の説明のあと、続いて書かれたもの》
《同書は2015年に出版されたものであり、ロッキード事件そのものは更に昔のことになる。なんで今頃こんなことを取り上げているのかというと、この本は昨日読み始めたばかりでそれまではこの事を知らなかった、ということと、ここで露になっている私たちの精神構造はほとんど変わっていない、と思うからである》
あなたは知ってましたか、僕は全く知らなかった。ロッキード事件が日本とロッキード社の間のことだけではなく、世界的な事件であったことを。
勿論、当時はそのことにも多少は触れられていたのでしょう。事件の背景の説明として。
確かこの事件がバレたのはアメリカでの公聴会でのことであり、そこでロッキード社が追及されたのは、おそらく、前述した世界規模の賄賂であって、日本へのものはその一部に過ぎなかったのだろう。
そうであるならば、日本国内でいわいる“ロッキード事件”として知られる顛末が調査、報道されるだけではなく、同時もしくは一段落したあとでも、他国での金権政治の実態と、そもそもロッキード社が賄賂に頼らざるを得なくなるまでの経緯を、航空機産業の内幕を合わせて調査、報道するべきであったろう。
それは、精神構造としては、江戸時代から大して変わっていないからだろう。外国のことなどはどうでもいいのだ。
それは、日本だけでなく、どの国もそういう傾向はあるだろうが、やはり日本はそれが強いように思う。
関心が国内のことに止まっていようと構わないようなものでもあるが、そんなことを続けていたら、国際社会での地位がどんどん低くなるというものです。
とにかく、国の内外を区別して考えることをやめないことには話にならない気がするのだが。