※あらすじなど、作品の説明は省きます。また、以下良くないことですが、登場人物は役名ではなく、役者の名前を使います。
これは役者を大事にしていたドラマでありました。
だらこそ、それぞれがいい仕事をして、それぞれ、自分の力量を広げる演技ができたのでしょう。
《作品の主題を正面から扱っているものでは、佐藤結依という方のリアルサウンドでのコラムが僕の読んだ限りでは決定版です。佐藤さんによれば、このドラマは登場人物それぞれが持っていた「~すべき」という考えがいつの間にか初めのものからずれてしまっていたのが、本来あるべきだったものに戻る話だということです。ここで佐藤さんのコラムに飛ばせるものが貼れればいいのですが、やり方を知りません。ですのでお手数ですが、もしも興味があれば検索してみて下さい》
うまく文章にできそうにないので、以下、箇条書きにします。
・最終回に多くの役者に見せ場があったのは良かったです。綾瀬、高橋、北村の主要キャストは勿論、鑑識の林泰文、管理官の野間口徹に見せ場があったのは、筋書きのためもあるでしょうが、両名にお疲れ様、ありがとう、という意味合いのものだという気がしました。さらに多くのメンバーに少しずつ出番があったのは、舞台でいうカーテンコールの意味合いがあったのではないのかとも思っていまいました。
特に刑務所での中尾明慶は最高でした。ほんの少しの出番、台詞のなかで、すっかり小狡い小悪党の擦れっ枯らし振りが板についていたのがわかる演技には笑わされました。ただ、欲をいうならば、岸井ゆきにも出番が欲しかったです。(裁判所の場面にいてもおかしくないはずだったのですが。それともわたしが見逃しただけかもしれません。岸井さんが出ていれば主だった出演者が全員、出たことになるのですが)
・処理されていない伏線に対する不満とか、写真だけの出演となった田口浩正が謎、などいわれていますが、筋が相当カットされていると推察されます。根拠としては、迫田孝行、高橋一生の父親役が浅野和之なんです。でも、出番がほんの10秒くらいなんです。浅野さんほどの名優を初めからそんな失礼な使い方をするとは考えにくい。何かしらがあって、予定の脚本が大きく変わったのでしょう。ネットで話題となっていた、田口浩正の出番が写真だけ、というのも、視聴者をからかったという可能性よりも、カットされたと考えたほうが自然な気がします。
・役者の演技の良さには触れましたが、良く言われる、新たな一面を引き出す、という脚本、演出ではなく、既に持っている持ち味の一番いい面を表現させる作り方をされているようでした。いわば、それぞれの路線での可能性を広げる演出です。
・ドラマの最終形態を決めるにあたって、最後は、ストーリーの整合性よりも、役者の力を引き出すこと、話の勢いを大切にしたのではないでしょうか。
・北村一輝が味方になるのは初めからわかっていたことです。物語の冒頭近く、捜査一課の雰囲気を説明する際、普通に持つであろう、一課イメージと違って皆、緩く仕事をしている、といった描写がありました。その中で熱血なのは北村一輝と綾瀬はるかだけだったのです。内心期待して目をかけないわけはありません。実際に、綾瀬はるかが初めに高橋一生を疑ったときに真っ先にそれを認めたのは北村一輝でした。その後も綾瀬はるかのことを良く見ていました。これは気に掛けていたとも解釈できます。
途中、本気で共犯を疑っていたようなのは、彼が認めていたのは綾瀬はるかであって、中身が高橋一生の綾瀬はるかではない、といえば(少し苦しいですが)筋は通ります。
・柄本祐の最後の台詞、ナッツは安い、川の向こう側のスーパーで買ってくれ、というのは、少しでも自分の利益になること、自分を高めることに対しては努力を惜しまないままでいて欲しい、という願いだったのかもしれません。
・綾瀬はるかが警察学校の教官になったのは、レイモンド=チャンドラーが、自身の創作した私立探偵、フィリップ=マーロウについて語ったことを下敷きにしているのかもしれません。チャンドラーによると、マーロウのような人物が実際にいたとしても、探偵などはできないだろう、というのです。何かになれるとしたら、せいぜい大学の舎監だろう、ということなのです。これはおそらく、マーロウのような、決して自らの信念を曲げないような人物は、現実世界では潰されるか壊されるだろう、ということだと思うのです。だから、学校という、現実とは一線を画した場所でしか生きられないだろう、ということだと思うのです。
そうしてこれは、そのまま綾瀬はるか演じる望月彩子にも当てはまることです。物語は終わりなのですから、そのまま捜査一課にいる体で終わらせても良かったのでしょうが。(本当は、だとしたら他にもチャンドラーやマーロウを連想させるものがあるはずではあります。強引に言えば、いつもトレンチコートを着ていたのがハードボイルドを連想させる、と言えなくはありませんが・・)
・最後に、物語冒頭に綾瀬はるかが見た奄美大島の夢のことです。
物語の最後、高橋一生によって、入れ替りは高橋の亡くなった母が兄弟の暴走を止めるためにやったのではないか、という心を動かされる推察が明らかになります。(物語の途中でそれに思い至る場面の描写もあります。また、この台詞が初めに紹介した佐藤結依さんの考察につながったのでしょう)そうであるならば、あの夢は、入れ替りの前に高橋の母が綾瀬に予告または予備知識あるいは警告、または精一杯の挨拶、といった意味合いで観させたものだったのでしょう。また、母親の存在を視聴者に印象づけることによって、短い出番ながら素晴らしかった、母親役の徳永えりを思い起こさせる効果もありました。カーテンコールでのキャストが揃ったわけです。(先程、もしも岸井さんがいればカーテンコールでの全ての役者が揃った、といいましたが、本当は、ここで、
ラストシーンで揃ったのです)
最後、締めくくりの母親話で母親役の人を思い起こさせる。
冒頭の夢は高橋一生のお母さんからの警告、メッセージ
ストーリーの整合性よりも、役者の説得力を大事にした製作