時事その他についての考察

ヒトの労力には限りがある。公明党の役割から見るその浪費。

公明党に一定の役割があることは認めます。

ともすれば、いわいる小さな政府で収まろうとする自民党に対して、貧乏人を助ける政策をすすめてきました。

今、政治家さんたちは、高齢者がお医者にかかったときに、自分で払うお金の割合をどうするのかという議論をしています。(健康保険で集めたお金で払える分が無くなってきているからですね)

今は高齢者本人は、かかったお金の一割を払えばいいことになっているらしいのですが、それを二割に上げたい、しかし、高齢者全員の分を上げてしまうと払えない人も出てくるので、お金をある程度稼いでいる人たちだけでも二割払ってもらうようにしたい、ついては、その“ある程度”の金額をいくらにしようか、という話です。

この設定金額を、自民党は年間140何万円以上にしたいといっているのに対して、公明党は250何万円以上(だったか)からにするべきだ、といったような話です。(ちゃんとした金額は知りません)

意味が全く無いわけではありませんが、不毛な議論だということは多くの人が思っていることだと思います。

健康保険制度に関して本来やらなければいけないことは、その制度を100年の単位で続けさせるためにはどう変えていかなければいけないのか、ということです。

ちまちまと、10年、15年、根本的な問題の解決を先送りにすることではありません。

政治家も官僚も、その労力には限りがあります。10年間しか持たない変更を決めるのに、貴重な労力を使ってしまえば、根本的に変えるために使うべき力が少なくなってしまいます。

さらに穿った見方をさせてもらうと、自民党の出した提案に対して公明党が抵抗をしてくるのはわかりきっていることなので、自民党としては、初めからハードルを高く設定していたのではないのでしょうか。

それを、公明党が交渉して、より人々のための政策に変えさせたという形にして、よく言う“花”を持たせた格好にしているのではないでしょうか。(根拠はありません)

さて、今書いたくらいのことは、本当は皆さん知ってることだと思います。

自民党の人たちも、公明党の人たちも知っている。

では何故、そんな無駄なことをし続けているのか。

多分、他に何をやればいいのかがわからないのです。

健康保険制度の抜本的な改革といっても、何をどうすれば正解なのかがわからない、それと同時に自分で改革を進めて、失敗したときに責任を問われることは絶対に避けたい。

これは、どちらも政治家としての資質に欠けるとしか言えないことです。しかし、現実にはそんな人ばかりなのでしょう。

同情の余地がないわけではありません。

“責任を問われたくない”というのは論外ですが、状況が読めない、何をどうやって改革したらいいのかがわからないのは、皆、同じだからです。(これに関しては、別途考えてみたいです)

結局、どうすることが正解なのかがわからないので、いままでやってきたことをくり返すしか出来ないのです。

公明党の場合、それが、“根本的なことには一切触れずに、少し庶民の味方といわれそうなことをする”というやり方です。

日本全体が上手くいっていた時にはその存在に意味もあったのでしょう。しかし今となっては機能しない政治の象徴のようなものでしょう。

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