時事その他についての考察

歴史の話―朝廷の受難と幕府の始末―

江戸時代、幕府が恐れたことの一つが、天皇と外様大名が結ぶこと。手を組んで幕府の打倒を企てること。

そのため、京都、近畿の周りを直轄地や譜代で固めた。京都所司代を置いて天皇、朝廷を監視した。

さらに、天皇、公家を貧乏にしておいて、得意の政治工作をする資金を絶った。

でも、やはり、結局、薩長と朝廷が結んで幕府は負けた。

幕府は失敗したのか?260年余り続いたものを失敗とはいわない。

朝廷を根絶やしにすればよかったのか?

そもそも、幕府の権威の源が朝廷、天皇なので、これを無くするわけにはいかない。自分が利用できるものは、他の者も利用できる。でも、力のある内は用心さえ怠らなければ良かった。

一口でいってしまうと、歴史の節目が変わった、歴史に流されたということ。

そもそも論でいうと、幕府にとって、危険なのは薩摩、長州あとは、仙台の伊達、加賀の前田あたりであって、反乱を用心し過ぎることはない位に用心するべき存在であった。実際にそうしたと思うのですが、結局力の衰えとともに、押さえが効かなくなって、敗れることになった。

これも、では江戸幕府が出来上がった頃に潰してしまっていれば良かったのではないのか、という考え方もありましょう。しかし、そうするためには、かなり強引なことをしなければならなかった筈で、普通に考えれば、その結果、どこかに大きな綻びが生まれて、もっと早くに幕府は潰れていたことでしょう。

以上のことは、“「明治政治史」岡義武著 岩波文庫”の初めの数ページを読んで考えたことです。同書に書いてあったのは、天皇、朝廷が幕府の監視下にあったことと、貧困のうちにあったことです。

でも、私が賢しげに付け加えたことなどは、著者は当然、わかっていた事と思われます。同書の性質にあわないことなので、書かなかっただけで。

同書は、1962年に刊行された本を底本としているとのことです。近代日本史を学んでいる人たちには知られたものなのでしょう。しかし、門外漢である者にとっては、全く未知の本でした。

前述のように、まだわずか数ページを読んだだけですが、その文は読みやすい上にリズムがあり、内容もとても面白いものです。

奥付を見ると、文庫になったのは、2019年の2月とのことで、流石に岩波書店はいい仕事をされるものです。

具体的な内容をお知らせするために、一部引用します。公家の貧窮を物語る挿話で、原本では脚注になっている部分です。また、この引用とともにこの駄文も終わりたいと思います。(とはいうものの、これから引用する部分はほとんどが他の著作を抜粋した文で、つまり著者の地文は少ししかないのですが。しかし、その本を見つける眼力と、引用部をひいたセンスはわかると思います。というよりも、ただ私がこの部分を書いて、紹介したいだけなのですが)

《幕末の蘭学者桂川甫周の女に生れた今泉みねは、その回顧談の中で次のようなことを語っている、「京都のある橋のたもとに、砂に字を書いて遊んでゐた乞食にも近いような身なりをした少女に、通りかゝりの人が道を尋ねました。〈おい、ねーさん、何処そこに行くのだが・・〉といくらきいても、ウンともスンとも答えません。〈お前つんぼか、お前のおとつさんは・・〉と色色つめてききましたら、ふりむいて只一言〈身は姫ぢや〉ときりつとして言つたなり、又砂をかいて遊んで居たさうでございます。お姫さまといふものは、ぢきぢきには口をきくものでない、大層な気位のものだと云うおはなしを子供の時にきいた事がありました。昔はなり風俗で男も女もちよつと見れば身分もたいていわかるやうになつてゐましたが、あんまりなりがひどかつたので、ぞんざいにものなどきかれたのでございませう。そんなに苦しんだのは旗本の娘たちではなくて、京都の公卿さまのおひめさまだと思ひますと今では済まない気がいたします」(今泉みね、『名ごりの夢』、昭和十六年、209―10頁)。この挿話は、江戸時代の公家の姿を端的に物語るものとして象徴的である。》

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