時事その他についての考察

国会というのは、それを空転させることが目的なのか?

菅総理が、所信表明演説を発表されました。

それに対して、立憲民主党(名前、変わったんでしたっけ。これでいいのかしら)の枝野幸男さんと、日本維新の会(維新の会とか打ちたくないのですが。―何故なら、人の業績を勝手に借りて商売しているから。本当に、維新の志士たちの墓前で土下座して謝って欲しいです。あなたたちが、維新を名のる?片腹痛いという言葉がこれ程適切に使える場はそうはないでしょう―)の代表の方(だと思います)が、「細かい話ばかりで、国の行く末を示す構想が全くない」という意味の批判をされていました。

野党の批判というものは、概ね的外れなものですが、今回の批判は全くその通りと思えるもので、本来ならば、国会での論戦が期待できるものです。

しかし、学術会議の任命がどうとか、総理が以前出版された著作の改訂新書版から、政権は公文書を提示しなければならない、という意味の文言を削除したとか、はっきり言って二の次のことで終始してしまうのでしょう。(ああ、河井夫妻のこともありました)

これは、あれですか、わざとですか。与党、野党共謀して、やっかいな、メンドクサイ話はしないようにして、かといって、何か言わないといけないので、適当に問題をでっち上げて、その話で済まそうとしているのですか?

勿論、そんなことはないでしょう。単純に、国民が注目する話題なのでそれを主に取り上げる、ということでしょうが。

《与党側が、本質的な議論を避けるためにわざと話題性の出る隙を作る、ということはあり得るかもしれません。いくら叩かれても適当に流せる失策をしておいて、それが注目されている間に根本的なことを進めてしまう》

《わざと隙を作るというのは言い過ぎかもしれませんが、出てきてしまった失策を利用して、それを隠れ蓑に使う位のことはやっているでしょう》

しかし、こういう話をしていると、気が滅入りますね。今に始まったことではないし、今後もあり続けることでしょうし。

生意気なことを申しますが、こういう体たらくなのは、皆さん忙しくて、まともな本を読む暇がないからでしょう。自分だけで考え付くことなどは、大したことはありません。それは、多少、能力に恵まれていても、同じことです。それを補うためには、しかるべき人から話を聴いたり、書物から知識を得るしかないのですが、その時間がない、またはもともとそのつもりが無いのであれば、これは仕方がありません。テレビや雑誌、新聞などの浅い、受け狙いが主の話だけとしか接しないのならば、考えが浅いものになるのは致し方ありません。

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