もしも、軍事的な脅威が少なく、また国の基盤がしっかりしていて、秩序が安定していれば、自由な経済活動は、万人の利益になるものなので、自然とその基盤が整ってきます。
モンゴル帝国も、こと経済活動においては、実は自由だったと言われています。ユーラシア大陸全体を網羅する、初めての世界的な自由貿易圏が確立したわけです。
ローマ帝国にも経済的な自由はおおいにあっただろうと思います。経済の発展は、何よりも為政者の利益になりますから。
ただし、その余裕があるのは、軍事力が強大で、他国を恐れる必要がない時に限られます。逆に言うと、その余裕が無くなると、国民への締めつけを厳しくせざるを得なくなり、自由経済からは遠くなることになります。
今、自由と民主主義が危険に晒されている中で、どうこれを守るのかが議論されています。(勿論、ローマ帝国や、モンゴル帝国には自由な身分や民主主義はありませんでしたが、端的にいって、経済的な自由がそれらを生んだといっていいでしょう)
経験側でいうと、単純にそれを擁護する覇権国家にしっかりきしてもらうことが現実的なのではないでしょうか。
現在の世界でそれに当てはまるのは、やはりアメリカしかいません。
そうであれば、各々不満もありましょうが、各国がアメリカを支える体制を作ったほうが現実的です。
自由主義世界はもう、無邪気にアメリカを批判したり、アメリカとは違う独自路線を追及したりする贅沢が許されない時代になっているのです。
今までの覇権国家は、皆、実力でそれを勝ち取ってきました。周りがもり立てて覇権を握る、という試みがなかったので、その方法や成功の確率はわかりません。イメージでいうと、天皇制確立前夜の古代日本で、豪族たちが天皇を押し立ててトップに据えた感じでしょうか。
いずれにしろ、各国、アメリカと中国の対決をただ見守ったり、どちらにつくかという計算をするのではなく、皆で協力して、次世代のあるべき勢力図を設計するぐらいの心構えをもって対処してほしいものです。
《そのためには、老獪な政治家が必要です。しかし困ったことに、現在の自由主義国家では、若くて見映えのいい、理想主義的な指導者が選ばれる傾向があります。はたして彼らにこの難局が乗り切れるのか、かなり心配です》