時事その他についての考察

新しい生活様式は強権主義か

新しい生活様式などというのは、政府の強権主義の現れではないのか、という懸念、疑いを持つ人がおられるようです。

彼ら皆の発言を精査したわけではないので、それについて、はっきりしたことは言えません。

ただ、それはわたし自身少し感じたことでもあります。しかし、自問自答した結論としては、強権は言い過ぎであろう、というものでして、今回はそこに至るまでの考えの道筋を印します。

以前も書いたことですが、今、コロナ対策として一般的に行われ、また、そうした方がいい、といわれていることの中には、理屈にあわないことが結構、あります。例えば、マスクを着けることも、屋内ならともかく、人通りのあまりない道路では不要でしょう。実際に、少しずつ、屋外ではマスクを着けていない人たちが増えています。(私は、というと、一度外に出たらほとんどの場合、どこかでマスクは必要になるので、単純に持ち歩く、という意味で着けっぱなしにしています)

また、お店の営業時間を短くすることも、娯楽施設や飲食店はともかく、生活に必要な店なら、来店客をバラけさせるためにも、どちらかというと、営業時間は伸ばしてもらったほうがいいはずです。

ところが、いつまでたってもそうはなっていません。そうして、そうなっていないことが、今回の話の鍵なのです。

今、上に書いたようなことを思う人は、まあ、考える力がまずまずある人、といっていいでしょう。

そうして、そういう人たちの周りには、やはりそういう、筋道だった考え方をする人たちが多いことでしょう。

彼らは知らないのです。自分の仲間内ではない、世の中のほとんどの人たちは、自分で考えることなどはしないということを。

だって、そうでなければ、今はびこっている、“ちょっとおかしいよね、”という行動の基準などは、少しずつでも正されていくはずです。

ほとんど意味がなかったり、場合によってはその上、人権侵害なのでは、ということでも正される気配すらないことがそのことをはっきりと示しています。

「ちょっと待ってくれ、我々一般大衆がものを考えないのは、とりあえずはそういうことにしてもいいが、世の中の決まり事をつくる人たちはそうではないんじゃあないの?」

と、思われるかもしれません。

そこで行政担当者の立場にたったつもりで考えてみますと、せっかく世の中が一つの方向に向いているところを、たとえそれが妥当なことであっても、新しいことを言い出して混乱させて、台無しにしてしまうのは困る。それよりも、少しばかりやりすぎでも、流れにまかせてこのまま続けたほうががいいだろう、と判断したのかもしれない、とも考えられるのです。

行政というのは、我々一般大衆と常に関わりをもっているので、そうではない学者や評論家といった人たちより、少しは人間というものを知っているのでしょう。

《本当にこわいのは、人々が考えないことではなくて、飛躍した考えを持ってしまうことです。不充分な情報から、「なんでそんな結論になるの?」と唖然としてしまうことを決めつけたりしますから。利口な人たちは多分、そういう人たちのことは知らないのです》

しかし、そうはいっても、本当は行政はもっと現実にそくした判断を、それももっと早くしてくれないか、と思うことは思います。そうさせるための有効なやり方が、私たちのあげる声でもあるのですが。

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