少し前に、世の中全体で、仕事がいい加減になってきているのではなかろうか、ということを書きました。
そうなった原因は、今や仕事上で、“怒る”ということがほとんど出来ない世の中になっていることにあるのでは、というほどのことを書きました。
《本当は何故そういう世の中になったか、ということを分析しなければいけないのですが、それは今のところわかりません》
それから何日かしてのことですが、自宅アパートに、郵便書留の不在票が入っていたのです。そこに、受付は24時間開いている、とあったので、22時頃にいったのですが、既に閉まっていたのですね。コロナの影響だということで、受付は18時までだと扉に書いてありました。
不在票の文言を直せなかったのは、コロナ禍で人手が足りていないのかもしれません。いわいる働き方改革で仕事の量を削らなければいけないのかもしれません。しかし、以前であれば、郵便局でこの様な不手際というのは、考えにくいことでした。
仕方がないので、すごすごと帰った道のりのことですが、ある、有名レストランチェーンが、記憶にあるかぎりでは営業時間だったにもかかわらず真っ暗だったのです。まあ、これも新型コロナの影響なのだろう、と思って看板を見ると、看板上ではコロナ以前と同じ、24時までの営業となっていました。
結果の予想はついていましたが、一応、確認しましたよ。そのお店は、一階が駐車場で二階が店舗、という形式のお店だったので階段のぼりました。
予想通りでしたが、新型コロナ云々で、営業時間云々とありました。ありましたが、そのお店の入り口は、ガラス戸が二重になっている、つまり、手前のガラス戸を開けると少しスペースがあって、その先にもう一つ、ガラス戸があるお店だったのですが、そうして、営業時間はその両方に、書いてあったのですが、訂正されていたのは奥のガラス戸だけでした。手前のガラス戸では訂正されていませんでした。
誤解されそうですが、わたしはそれを責めようとしているのではありません。日本はそうなってしまったんだな、と思っているのです。
こういうのは何かに似ている、と思って気がついたのですが、洋行帰りの人たちがいう、外国の事情と同じような気がします。
よく言うじゃありませんか。外国でホテルに泊まったら、シャワーのお湯が出ないので、フロントに苦情をいったら、すぐ修理の者を行かせる、五分で行かせる、といったにもかかわらず、何時間待っても全く来ない、とか。
うーん、グローバル化ってのはこういうことも含んでのことだったのだろうか。いずれにしろ、それを責めたり、怒ったりしても仕様がありません。多少の不手際は、もう、そういうものだと達観する他はないでしょう。
そういえば、若い人たちはそんなことではいちいち怒らないと聞いたことがあります。流石、時代に適応してるのでしょうか。それとも、こっちは怒らないから、そっちも多少のことで怒るな、ということなのでしょうか。
また、我慢するだけでは済まない、金銭上の損得に関わることは、相手が失敗しないように、常にプレッシャーをかけつつ、下手をうたれる可能性は常に考えた行動をする必要があるのでしょう。
もう、わたしたちが知っていた日本や日本人はいなくなってしまいつつあるのです。
日本人御自慢の公共交通機関の時間の正確さ、なども、これからはどうなるかわかりません。
無償の気のきいたサービスなどというものは無くなってしまいつつあります。それはお金のかかることになってしまったようです。
今、いってしまいましたが、それを防ぐには、お金を出すこと、お金で特別なサービスを買うこと。または、常連になるなどして、相手との信頼関係をつくること。両方ともにいえるのは、相手にとって、特別な存在にならなければいけない、ということです。
その両方ともに出来なければ、任せられない人たちのなかでやっていく他はありません。
実は、個人的には、それもそんなに悪くないのではないかな、と思わなくもないのです。