時事その他についての考察

全共闘世代は何故リベラルに凝り固まっているのか

全共闘世代といわれる人たちの多くは、先の戦争に対する考えや、憲法第九条のことになると、まったく柔軟性をかいた考え方しかできなくなってしまいます。それは、本来は物の分かった人たちでもそうであるようです。

彼らの若い頃にそうなったのはわかります。なにしろ、全共闘ですから、仮に運動そのものに参加はしていなくとも、考え方としては、ほとんどの人たちが、反米で憲法第九条は守るべきものというような、その世代の典型的な考えを持っていたのでしょう。

《1946年生まれの猪瀬直樹さんは例外のなかでも目立った存在です。猪瀬さんは信州大学出身らしく、東京にはいなかったことがそうさせたのかも知れません。ご本人は自らの知性によるものとするでしょうが》

また、一般的に保守派として有名な百田尚樹 さんの生まれが1956年、小林よしのりさん、 1953年です。例が少ないのではっきりとは言えませんが、つまりは、全共闘の少し下の世代に当たります。すなわち、全共闘世代が好き勝手暴れまわって、大学などを滅茶苦茶にして、知らん顔で放ったらかしにした、そのつけを押し付けられた人たちです。

迷惑を受けた者からすると、全共闘世代の主張そのものもいい加減なものにみえたのだろうことは想像がつきます。そうして、全共闘世代が間違っていたということは、その反対側に正しいことがあるだろうという流れをたどっての保守化なのでしょうか。だから、下の世代の保守としての主張も、反動として、極端なものになってしまっていることもわかります。つまり、下の世代もまた、極端な保守の側で考え方が硬直化してしまっているのです。

彼ら二つの世代をみると、考え方の基本的な立場というものは、一度固まってしまうと、その間違いに気が付くこと、それを否定することが相当に難しいことなのがわかります。

おそらく、それを直すことは、自分がやってきたこと、考えてきたことが全て否定されてしまう様に感じてしまうことなのでしょう。それは、知的能力を自らの存在の要として考える人たちにとっては、確かに難しいことなのでしょう。

そうして、それは、実は、彼らだけではなく、私たち全員が陥ってしまう罠なのでしょう。

問題の難しさは、そこに問題があることさえ、見えていない、見ないようにしていることにあるのですから。

全共闘―リベラルの問題が特別に厄介なのは、彼らの数が多いがために影響力も強いこと、また、その強いものに対抗するためには、反対の意見も本来の主張より、過激になるきらいがあることです。

そのために、常識的な、まともな、中庸な意見がかきけされてしまうことになりがちです。もともと、中庸な主張というものは目立ちにくいものですが、それが助長されてしまうのです。

ところで、第二次世界大戦は文字通り、世界に広がった戦いでした。1960年代に起きた学生運動は、その後処理の矛盾点が現れたものともいえ、ですから世界中の主要参戦国で起きたのでしょう。(気の毒な旧ソ連は別ですが)ということは、今まで述べてきたことは、日本に限らず、ある程度は、世界中に当てはまることでもあるでしょう。

これは非常に希望的観測になってしまいますが、世代が変われば時代を支配している流れも変わって、今起きている不毛な争いも少しは緩和されるかもしれません。ただ、この予測か当たる自信はまったく、ありませんが。世界はもっと、複雑でしょうから。

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